小普請奉行(読み)コブシンブギョウ

デジタル大辞泉 「小普請奉行」の意味・読み・例文・類語

こぶしん‐ぶぎょう〔‐ブギヤウ〕【小普請奉行】

江戸幕府職名若年寄に属し、江戸城本丸以下幕府関係の建物営繕をつかさどった。

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精選版 日本国語大辞典 「小普請奉行」の意味・読み・例文・類語

こぶしん‐ぶぎょう‥ブギャウ【小普請奉行】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職名の一つ。江戸城本丸をはじめ、東叡山・増上寺・浜御殿・紅葉山霊廟その他官舎の造営修繕をつかさどる。当初の小普請奉行は、元祿一四年(一七〇一)、小普請奉行組頭(破損奉行総頭、小普請方頭)が小普請奉行と改称されたのに伴い、小普請方となった。若年寄の支配に属し、配下に小普請方改役などがいた。

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改訂新版 世界大百科事典 「小普請奉行」の意味・わかりやすい解説

小普請奉行 (こぶしんぶぎょう)

江戸幕府において江戸城内外,御府内の幕府管下の建造物,寺社等の営繕を分担した小普請方の長官。1685年(貞享2)小普請奉行(御破損奉行)の長として同組頭(小普請方頭)を置き,1701年(元禄14)組頭を小普請奉行,従来の小普請奉行を小普請方と改称。12年(正徳2)小普請奉行2員を解任後,作事奉行がこれを兼ねたが,17年(享保2)に再置。翌年作事奉行方と小普請奉行方それぞれの担当個所が定まり,本丸,西丸大奥をはじめ二丸,三丸,紅葉山諸堂社,増上寺,浜御殿,伝奏屋敷等々は小普請奉行の担任とされた。享保期以降格式が高くなり,2000石高,諸大夫の役職となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小普請奉行」の意味・わかりやすい解説

小普請奉行
こぶしんぶぎょう

江戸幕府の職制。1685年(貞享2)小菅伊右衛門(こすげいえもん)を任じたのが起源とされる。その後1712年(正徳2)に廃止されたが、1717年(享保2)に再度設置され、以後幕末まで続いた。再置後の定員は2名で役高2000石、従五位下諸大夫(じゅごいげしょだいぶ)に叙任され、若年寄支配に属した。本丸、西丸、大奥、二丸、三丸、浜御殿、紅葉山(もみじやま)東照宮、同御霊屋(みたまや)、寛永寺、増上寺、品川東海寺、池上本門寺(いけがみほんもんじ)、伝奏屋敷(でんそうやしき)などの普請・修復を職務とし、所要物品の調達にあたる元方(もとかた)と、調達品の受け取りと配分にあたる払方(はらいかた)とに分かれていた。

小池 進]

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世界大百科事典(旧版)内の小普請奉行の言及

【作事奉行】より

…97年(元禄10)の幕府小細工方廃止にともなう勤方規定によると,作事方は江戸・遠国のおもだった御普請を担当し,材木方,畳方,植木方,絵師,大工等を支配している。1712年(正徳2)の小普請奉行解任後,しばらくその職務を兼帯したが,17年(享保2)小普請奉行が再置され,翌年江戸城内外,御府内の幕府管下の建造物を小普請奉行方と分割,作事奉行方は本丸・西丸の表向,櫓,内郭・外郭の門塀,寛永寺諸堂社等を管掌することになった。このほかに切支丹宗門改,鉄砲改等の職務を兼ねた。…

※「小普請奉行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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