小泉信三(読み)コイズミシンゾウ

デジタル大辞泉 「小泉信三」の意味・読み・例文・類語

こいずみ‐しんぞう〔こいづみシンザウ〕【小泉信三】

[1888~1966]経済学者・教育家。東京の生まれ。慶応義塾の教授・塾長。マルキシズム批判の理論家として活躍。第二次大戦後、皇太子の教育参与。文化勲章受章。著「リカアドオ研究」「マルクス死後五十年」「海軍主計中尉小泉信吉」など。

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精選版 日本国語大辞典 「小泉信三」の意味・読み・例文・類語

こいずみ‐しんぞう【小泉信三】

  1. 経済学者。経済学博士。東京出身。慶応義塾大学部政治科卒。母校の教授、塾長。第二次世界大戦後、東宮教育参与となる。学士院会員。文化勲章受章。著に「価値論社会主義」「リカアドオ研究」など。明治二一~昭和四一年(一八八八‐一九六六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小泉信三」の意味・わかりやすい解説

小泉信三
こいずみしんぞう
(1888―1966)

経済学者、教育者福沢諭吉に直接指導を受けた小泉信吉(のぶきち)(1849―1894、銀行家。慶応義塾の第2代塾長)の長男として明治21年5月4日東京・三田(みた)に生まれる。普通部から慶応義塾に学び、大学部では福田徳三の指導のもと、学問的感化を強く受け、マルクス主義批判の闘将として育っていった。1910年(明治43)大学部政治科を卒業、母校に残り、1912年(大正1)からヨーロッパに留学、主としてドイツおよびイギリスにおいて理論経済学および社会思想、とくにマルクス主義研究に専心した。1919年に帰国して義塾の教授となり、経済原論、経済学史、社会問題などの講義を担当した。学問的業績としては、まずイギリス古典学派の研究、とくにリカード研究があげられ、リカードの主著『経済学および課税原理』を完訳(1928年刊)し、さらに『リカアドオ研究』を著している。また、日本における社会思想研究の先駆者として『社会問題研究』(1920)、『近世社会思想史大要』(1926)などを執筆するとともに、マルクス主義に対する容赦ない批判者として、河上肇(はじめ)、櫛田民蔵(くしだたみぞう)らと『資本論』の内容をめぐって活発な論戦を展開し、『価値論と社会主義』(1923)、『マルクス死後五十年』(1933)などを著している。

 1933年(昭和8)から1947年まで塾長の職にあり、その間、1943年には学士院会員となった。また、1949年(昭和24)以降東宮教育参与として、皇太子の教育および皇室の近代化に努めた。1959年文化勲章受章。昭和41年5月11日没。

飯田 鼎]

『『小泉信三全集』26巻・別巻1(1967~1972・文芸春秋)』

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改訂新版 世界大百科事典 「小泉信三」の意味・わかりやすい解説

小泉信三 (こいずみしんぞう)
生没年:1888-1966(明治21-昭和41)

経済学者,社会思想家。金融界の要職を歴任し当時慶応義塾塾長だった小泉信吉(のぶきち)の長男として東京三田に生まれた。1910年慶大卒後,直ちに同大予科教授となり,12-16年イギリス,ドイツに留学。帰国後慶大教授となり,経済原論,経済学史,社会問題を講ずる。13年刊の《ジェンス 経済学純理》は,近代経済学中の重要な体系的著作の初の完訳書として著名。20年刊の《社会問題研究》で社会思想家としての名声を確立し,23年刊《価値論と社会主義》等所収のマルクスの価値・価格論をめぐるマルクス経済学者との論争でも著名だが,経済学研究の本領はリカードを中心とする古典派経済学にあり,34年刊の《リカアドオ研究》で経済学博士。33-47年慶応義塾塾長。49年東宮御教育常時参与となり,皇太子明仁(現,天皇)の美智子妃との成婚をはじめ,皇室の近代化に努めた。マルクス主義批判家,経世的・啓蒙的名随筆家等として,日本の戦後思想にも大きな影響を与えた。59年文化勲章受章。《小泉信三全集》(25巻・別巻,1968-70)がある。
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20世紀日本人名事典 「小泉信三」の解説

小泉 信三
コイズミ シンゾウ

大正・昭和期の経済学者,教育者,評論家,随筆家 慶応義塾大学名誉教授。



生年
明治21(1888)年5月4日

没年
昭和41(1966)年5月11日

出生地
東京市芝区三田

学歴〔年〕
慶応義塾大学政治科〔明治43年〕卒

学位〔年〕
経済学博士〔昭和9年〕

主な受賞名〔年〕
コロンビア大学名誉文学博士〔昭和29年〕,文化勲章〔昭和34年〕,東京都名誉都民〔昭和40年〕

経歴
海外留学を経て、大正9年慶応義塾大学理財科教授。昭和8〜22年塾長を務め、14年から藤原工大学長も兼任。31年慶応義塾大学名誉教授、33年評議員会議長。この間、18年帝国学士員会員。戦後も東宮御所参与として皇太子時代の天皇陛下の教育を担当、美智子さまとのご成婚の仲人役を果たすなど活躍、保守的思想の中心人物。34年文化勲章を受章。また、スポーツと文学に造形が深く、51年野球殿堂入りした。主著「価値論と社会主義」「共産主義批判」など多数。「小泉信三全集」(全26巻・別巻)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小泉信三」の意味・わかりやすい解説

小泉信三
こいずみしんぞう

[生]1888.5.4. 東京
[没]1966.5.11. 東京
経済学者。慶應義塾塾長小泉信吉の長男として生まれ,慶應幼稚舎,普通部を経て,1910年慶應義塾政治科を卒業。 1912年ヨーロッパに留学し,ドイツではウェルナー・ゾンバルト,イギリスではアルフレッド・マーシャルに師事し,経済学,社会学を学ぶ。 1916年帰国後母校の教授となり,リカード研究や河上肇櫛田民蔵らとの価値論争を通じ反マルキシズムの理論家として知られるようになる。 1933年 45歳で慶應義塾塾長に就任,翌 1934年『リカアドオ研究』で経済学博士号を得る。第2次世界大戦後の 1947年塾長を辞任し,1949年以降東宮御教育常時参与となる。 1959年文化勲章受章。著書は『近世社会思想史大要』 (1926) ,『マルクス死後 50年』 (1933) ,『共産主義批判の常識』 (1949) など。死後『小泉信三全集』 (28巻,1968~72) が刊行された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小泉信三」の解説

小泉信三 こいずみ-しんぞう

1888-1966 大正-昭和時代の経済学者,教育者。
明治21年5月4日生まれ。小泉信吉の長男。英,独,仏に留学,大正5年帰国し母校慶大の教授。昭和8年塾長。イギリス古典派経済学研究とマルクス主義批判で知られ,戦後は皇太子明仁の教育と皇室の近代化につくした。34年文化勲章。昭和41年5月11日死去。78歳。東京出身。著作に「リカアドオ研究」など。
【格言など】スポーツが与える三つの宝―練習,フェアプレーの精神,友

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小泉信三」の解説

小泉信三
こいずみしんぞう

1888.5.4~1966.5.11

大正・昭和期の経済学者。東京都出身。慶大卒。1916年(大正5)英・独留学から帰国し,慶応義塾大学教授。33年(昭和8)塾長に選ばれ,第2次大戦後の47年まで在任。1945年5月戦災で重傷を負ったが再起。49年から今上天皇の教育に参与し,現皇后の選定にも深くかかわった。59年文化勲章受章,65年東京都名誉都民。「小泉信三全集」全26巻・別巻1。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「小泉信三」の意味・わかりやすい解説

小泉信三【こいずみしんぞう】

経済学者。東京出身。慶大卒後,1919年から母校の教授となり,1933年―1947年慶応義塾塾長兼慶大総長。戦後は東宮教育参与を務めた。古典派経済学を研究し,また《マルクス死後五十年》などでマルクス主義を批判。1959年文化勲章。

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367日誕生日大事典 「小泉信三」の解説

小泉 信三 (こいずみ しんぞう)

生年月日:1888年5月4日
大正時代;昭和時代の経済学者;教育者。慶応義塾大学塾長;東宮御所参与
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小泉信三の言及

【転化問題】より

…ヒルファディングはエンゲルスの歴史・論理説(論理的なものは歴史的なものから偶然的なものを捨象したものであるという解釈)に依拠して,価値は単純商品(資本主義以前の商品)に妥当する概念であり,生産価格は資本制的商品に妥当する概念であって,両者は質的に異なると反論した。この論争は戦間期の日本でも小泉信三と櫛田民蔵の間で再現され,櫛田は〈価値と生産価格の矛盾は事実の矛盾であって論理の矛盾ではない〉として小泉を反論したが,この反論は歴史・論理説そのものに難点があるために有効であったとはいえない。転化問題の正しい解決の方向に向かって新しい軌道を設定したのは,L.vonボルトキエビチである(1906‐07)。…

※「小泉信三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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