日本歴史地名大系 「小田井県神社」の解説
小田井県神社
おだいあがたじんじや
弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「小田井社 三十一町三反八十分」とみえ、「山門無動寺領」「領家日向律師昌範」「地頭新藤五郎三郎盛綱」の注記があり、社領田の内訳は仏神田二五町一反三二〇歩、領家所当五町五反大(うち分田二反)、徴使給一反、地頭給二反大である。本家の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「小田井社 三十一町三反八十分」とみえ、「山門無動寺領」「領家日向律師昌範」「地頭新藤五郎三郎盛綱」の注記があり、社領田の内訳は仏神田二五町一反三二〇歩、領家所当五町五反大(うち分田二反)、徴使給一反、地頭給二反大である。本家の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...