少女の友(読み)しょうじょのとも

日本大百科全書(ニッポニカ) 「少女の友」の意味・わかりやすい解説

少女の友
しょうじょのとも

月刊少女雑誌。実業之日本社刊。1908年(明治41)2月に創刊され、55年(昭和30)6月号で終刊大正期までは他誌と大差ない内容であったが、1931年(昭和6)に内山基(もとい)が編集長となってから連載少女小説の質が急上昇し、吉屋信子(よしやのぶこ)『桜貝』、川端康成(かわばたやすなり)『美しい旅』、森田たま『石狩少女』などの秀作を生んだ。表紙口絵挿絵中原淳一で、いわゆる叙情画に新しさをもたらした。講談社の『少女倶楽部(くらぶ)』(1923創刊)とともに長く少女雑誌の王座にあったが、第二次世界大戦ののち少女週刊誌の波に押され、48年の歴史を閉じた。

上笙一郎

『渋沢青花著『大正の「日本少年」と「少女の友」』(1981・千人社)』

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デジタル大辞泉プラス 「少女の友」の解説

少女の友

日本の少女向け雑誌。発行、実業之日本社。1908年、少年向け雑誌「日本少年」の姉妹誌として創刊。川端康成の「美しい旅」、吉屋信子の「桜貝」など少女向けの小説が連載されたほか宝塚スターファッションなどの情報を扱い、読者投稿欄も活発であった。1955年廃刊。

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世界大百科事典(旧版)内の少女の友の言及

【児童雑誌】より

…同社の営利主義と主筆の知名度に依存するスター・システムによる雑誌づくりはその後も続き,最初の性別雑誌《少年界》《少女界》(ともに1902),年代別雑誌《幼年世界》(1900),《少女世界》が生まれた。博文館の強敵となったのは,《日本少年》(1906),《少女の友》(1908)を発行した実業之日本社である。既成のスターではなく,社内の編集者を売り出すことを目標にした《日本少年》は,3代目主筆有本芳水(1886‐1976)で大成功を収め,明治末から大正10年ころまで,人気雑誌の王座を独占した。…

※「少女の友」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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