中原淳一(読み)ナカハラジュンイチ

デジタル大辞泉 「中原淳一」の意味・読み・例文・類語

なかはら‐じゅんいち【中原淳一】

[1913~1983]画家・服飾美術家。香川の生まれ。昭和7年(1932)少女向け雑誌の挿絵画家となり、モダンな雰囲気の美少女画で人気を博す。のち雑誌編集や服飾デザインなども手がけた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中原淳一」の意味・わかりやすい解説

中原淳一
なかはらじゅんいち
(1913―1983)

画家、服装美術家、出版者。香川県に生まれる。徳島市に育ち、東京の私立日本美術学校を卒業。1932年(昭和7)に開いた創作人形展が縁で『少女の友』の挿絵画家となり、昭和10年代には叙情画家として、竹久夢二(たけひさゆめじ)、蕗谷虹児(ふきこうじ)を継ぐ少女向き挿絵の第一人者となった。第二次世界大戦後まもなく少女雑誌『ひまわり』と女性雑誌『それいゆ』を創刊し、経営、編集、挿絵、服装美術などに手腕発揮したが、1959年(昭和34)に心臓病で倒れ、以後は大きな仕事ができず、70歳で静養地の千葉県館山(たてやま)に没した。『名作絵物語』(1955)、『七人のお姫さま』(1968)などのほか『中原淳一画集』全2冊(1975、1977)がある。夫人は女優の葦原邦子(あしはらくにこ)(1912―1997)。

上笙一郎

『葦原邦子著『夫 中原淳一』(1984・中央公論社)』『林えり子著『焼け跡のひまわり』(1984・新潮社)』

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20世紀日本人名事典 「中原淳一」の解説

中原 淳一
ナカハラ ジュンイチ

昭和期の画家,イラストレーター,服飾研究家,雑誌編集者



生年
大正2(1913)年2月16日

没年
昭和58(1983)年4月19日

出生地
香川県木田郡三木町

学歴〔年〕
日本美術学校〔昭和11年〕卒

経歴
大正14年上京し画業を学ぶ。日本美術学校在学中の昭和7年頃、少女雑誌「少女の友」の挿絵画家となり、眼の大きく唇の小さい少女像を好んで描き一世を風靡した。太平洋戦争中は軍部圧力で発表を禁じられた。21年に季刊ファッション雑誌「それいゆ」を創刊し、同誌は竹久夢二調の繊細な美少女の絵で少女たちに支持された。22年ひまわり社を創立して「ひまわり」「ジュニアそれいゆ」などを創刊したほか、服飾デザインや作詞ミュージカルの演出と、多彩な活躍をした。30年代半ばからは闘病生活が続いた。没後、「ひまわり」は復刻された。平成12年山梨県河口湖町に中原淳一記念館が開館

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原淳一」の解説

中原淳一 なかはら-じゅんいち

1913-1983 昭和時代の挿絵画家,服飾美術家。
大正2年2月16日生まれ。昭和7年創作人形展で注目され,「少女の友」の挿絵画家となる。21年「それいゆ」,22年「ひまわり」を創刊。編集,デザインに才能を発揮。妻は葦原邦子(あしはら-くにこ)。昭和58年4月19日死去。70歳。香川県出身。日本美術学校卒。
【格言など】いつまでも古くならないもの,それこそがむしろもっとも「新しい」ものだとはいえないでしょうか(「女の部屋」最終号)

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367日誕生日大事典 「中原淳一」の解説

中原 淳一 (なかはら じゅんいち)

生年月日:1913年2月16日
昭和時代の画家;イラストレーター;服飾研究家;雑誌編集者
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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