道修町は薬屋の町として著名であるが、「難波鶴」には薬のほか、俎板・走(台所の流し台)・梯子・炬燵櫓など、また「懐中難波すゞめ」には畳屋・箪笥屋などが記されており、台所用品や指物細工など日常生活用品をつくる職人が多くいたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代から現代に続く大阪市内の町名。1~5丁目に分かれ,江戸時代には大坂三郷の北組,現在は大阪市中央区に属している。いわゆる船場(せんば)の典型的な商人町で,薬種問屋の集居する町として有名。江戸初期は道修谷(どうしゆだに)と呼ばれ,上町台地に切れ込む谷地の名称が町名になったとされる。のち道修町となり,読み方も〈どしょうまち〉が一般化した。地名の起源についてはまた,かつて道修寺という寺院があった,北山道修という医師が開業し門前に薬屋が集まった,あるいは修学修道の地であった,などの諸説がある。1700年(元禄13)には1~5丁目合わせて家数150軒,役数193.5役であったが,そのほか多数の借屋があり,1659年(万治2)の段階では3丁目だけでも家持26軒,借屋199軒があった。当時は,薬種屋のほかにも台所用品や指物細工,畳屋などの職人が多数居住していたが,江戸時代中ごろには薬種屋が中心的な勢力となった。
寛永年間(1624-44)堺の薬種屋小西吉右衛門が将軍の命で当地に開業したという伝承があり,1658年(明暦4)には当町の薬種屋33軒が奉行所に連印状を提出している。その後1722年(享保7)に道修町薬種中買仲間124軒が成立し,貿易品として幕府のきびしい統制下にあった唐薬種の全国的な流通構造の中枢を掌握した。それは長崎貿易で輸入される唐薬種はすべていったんは大坂の唐薬問屋に荷受けされ,道修町薬種中買仲間が品質と容量を検査したのち優先的に買い付け,全国各地の薬種問屋や大坂市中の他の薬種屋,合薬屋に売りさばくというもので,中買といっても実質的には独占的な仕入問屋であった。また国産の和薬種についても一手に取り扱い,彼らから薬種を仕入れて売薬をつくる合薬屋や小売の薬種屋も多数居住して,薬屋の町として発展した。現在もその伝統を受け継ぎ,中買仲間の系譜をひく武田薬品工業,田辺製薬といった大手製薬会社の本社をはじめ,多数の薬品会社が当町に集中している。また1780年(安永9)中買仲間が京都五条天神社から勧請した少彦名(すくなひこな)神社は薬祖神として中国の神農氏を合祀し,〈神農さん〉と呼び親しまれ,現在11月22日,23日の祭礼には人出でにぎわい,病除けのお守りとして笹につけた張子の虎を授与することで有名である。
執筆者:今井 修平
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…37年に日中戦争が起きて以来,戦時色は日ごとに強まり,やがて41年には太平洋戦争に突入する。そんな中で,ロッパは,37年に渡辺篤,若手として森繁久弥(1913‐ ),山茶花究(さざんかきゆう)を入れ,座付作者の菊田一夫と組んで,《道修町(どしようまち)》《花咲く港》といった〈当時の風潮に従うようにみえて,実は一種の抵抗である芝居をやってのけた〉(小林信彦による)。一方,エノケンは,十八番の《法界坊》《らくだの馬さん》などで人気を博したが,彼の片腕ともいうべき座付作者,菊谷栄の戦死によって,しだいにバイタリティを失っていった。…
…なおオオナムチ,スクナビコナは医療,禁厭(まじない)の法を定めたとされる(《日本書紀》神代巻)だけに,温泉の開発神とする伝えが各地に多くみられ(伊予国,伊豆国の《風土記》逸文など),延喜典薬式に用いられている薬草石斛(せつこく)はスクナヒコノクスネ(少名彦の薬根)と呼ばれた(《和名抄》《本草和名》)。近世以降,大阪の薬問屋街,道修町(どしようまち)では薬種の守護神として少彦名神社をまつり,毎年11月には全店休業しての大祭が今日でも行われている。また薬師信仰の普及のなかで,スクナビコナは薬師如来と習合されてゆくが,857年(天安1)2神をまつる常陸国大洗磯前(いそざき)神社,酒列(さかつら)磯前神社(ともに式内社)が,官命により〈薬師菩薩名神〉と加号された(《文徳実録》)のはその早いあらわれといえる。…
…近世の豪商経営をみていくと,この暖簾分け制度が大きな意味をもっているのに気づく。 大坂道修町(どしようまち)の武田(近江屋)長兵衛家(武田薬品工業の前身)の場合,1779年(安永8)に主家である近江屋喜助から屋号,暖簾を使うことを許され,銀2貫目の元銀と秋田方面の販売圏を譲られ,道修町の薬種仲買として独立することができたのである。主家の近江屋喜助も,近江屋一族の宗家太右衛門の別家格であるし,武田も経営が安定してくると次々と暖簾を分けて別家を増やしていった。…
※「道修町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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