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道修町 どしょうまち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

道修町
どしょうまち

大阪市中央区北西,船場北部を東西に貫く街区。薬品会社,問屋が集中する。古くは豊臣秀吉城下町治世に際し,商業政策として薬種業者が集められたと伝えられる。享保7 (1722) 年徳川吉宗のとき 124軒の薬屋の営業を公認,和薬種改会所を設置して問屋街発展の基礎を固めた。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

道修町

大阪の北船場にあり、寛永12(1635)年に堺商人の小西吉右衛門が店を開いたのを契機に東西1キロの通り沿いに薬種商が集まった。18世紀以降は幕府公認の下、長崎経由で輸入した漢薬の検査、値付けを独占。和薬も含め、全国への流通を一手に担った。明治に入ると西洋薬をまねて薬の化学合成をする所も出て、武田・田辺・塩野義の「道修町御三家」など製薬大手の多くを生んだ。

(2009-11-20 朝日新聞 夕刊 1総合)

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デジタル大辞泉の解説

どしょう‐まち【道修町】

大阪市中央区の地名。江戸時代からの薬種問屋街で、今も製薬会社が並ぶ。

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百科事典マイペディアの解説

道修町【どしょうまち】

大阪市中央区船場(せんば)にある薬種問屋街。豊臣秀吉の城下町経営の際,薬種商を集めたのに始まり,享保ごろ発展。大小の製薬会社が集中する。
→関連項目大阪[市]中央[区]

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世界大百科事典 第2版の解説

どしょうまち【道修町】

江戸時代から現代に続く大阪市内の町名。1~5丁目に分かれ,江戸時代には大坂三郷の北組,現在は大阪市中央区に属している。いわゆる船場(せんば)の典型的な商人町で,薬種問屋の集居する町として有名。江戸初期は道修谷(どうしゆだに)と呼ばれ,上町台地切れ込む谷地の名称が町名になったとされる。のち道修町となり,読み方も〈どしょうまち〉が一般化した。地名の起源についてはまた,かつて道修寺という寺院があった,北山道修という医師が開業し門前に薬屋が集まった,あるいは修学修道の地であった,などの諸説がある。

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大辞林 第三版の解説

どしょうまち【道修町】

大阪市中央区船場せんばにある町。近世初期より薬種業者が集中、薬種問屋街として知られる。

出典|三省堂
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日本の地名がわかる事典の解説

〔大阪府〕道修町(どしょうまち)


大阪市中央区船場(せんば)にある薬種問屋街。武田薬品工業・田辺製薬(現田辺三菱製薬)・塩野義製薬など大手製薬会社や薬品関係の商社の発祥地で、現在も本社を置く社も多い。江戸時代前期の明暦(めいれき)年間(1655~58)には薬種の株仲間が成立。問屋・仲買が全国の薬流通の一大拠点に発展した。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

道修町
どしょうまち

大阪市中央区船場(せんば)にある薬種問屋街。町名は道修谷とよばれた地名に由来する。寛永(かんえい)年間(1624~1644)に小西吉右衛門が幕命でこの地に薬種業を開業したのに始まり、1658年(万治1)には株仲間の問屋街を形成し、1666年(寛文6)には108軒に及んだという。現在、老舗(しにせ)の武田、田辺三菱、塩野義(しおのぎ)など大手製薬会社が軒を並べている。薬種神を祀(まつ)る少彦名命(すくなひこなのみこと)神社は通称「神農(しんのう)さん」といい、町の氏神として、11月22~23日の祭礼には参詣(さんけい)人でにぎわう。[位野木壽一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の道修町の言及

【少彦名命】より

…なおオオナムチ,スクナビコナは医療,禁厭(まじない)の法を定めたとされる(《日本書紀》神代巻)だけに,温泉の開発神とする伝えが各地に多くみられ(伊予国,伊豆国の《風土記》逸文など),延喜典薬式に用いられている薬草石斛(せつこく)はスクナヒコノクスネ(少名彦の薬根)と呼ばれた(《和名抄》《本草和名》)。近世以降,大阪の薬問屋街,道修町(どしようまち)では薬種の守護神として少彦名神社をまつり,毎年11月には全店休業しての大祭が今日でも行われている。また薬師信仰の普及のなかで,スクナビコナは薬師如来と習合されてゆくが,857年(天安1)2神をまつる常陸国大洗磯前(いそざき)神社,酒列(さかつら)磯前神社(ともに式内社)が,官命により〈薬師菩薩名神〉と加号された(《文徳実録》)のはその早いあらわれといえる。…

【のれん分け(暖簾分け)】より

…近世の豪商経営をみていくと,この暖簾分け制度が大きな意味をもっているのに気づく。 大坂道修町(どしようまち)の武田(近江屋)長兵衛家(武田薬品工業の前身)の場合,1779年(安永8)に主家である近江屋喜助から屋号,暖簾を使うことを許され,銀2貫目の元銀と秋田方面の販売圏を譲られ,道修町の薬種仲買として独立することができたのである。主家の近江屋喜助も,近江屋一族の宗家太右衛門の別家格であるし,武田も経営が安定してくると次々と暖簾を分けて別家を増やしていった。…

※「道修町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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