日本大百科全書(ニッポニカ) 「尚円」の意味・わかりやすい解説
尚円
しょうえん
(1415―1476)
琉球(りゅうきゅう)王国の第二尚氏王朝の開祖。金丸(かなまる)ともいい、神号を金丸按司添末続之王仁子(あんじそえすえつぎのおうにせ)と称した。伊是名(いぜな)島の百姓の出と伝わるが詳しい経歴は不明。各地を転々としたのち、尚巴志(しょうはし)の王子の越来(ごえく)王子に仕えるようになりしだいに頭角を現した。1454年、王位継承の争い(志魯(しろ)・布里(ふり)の乱)の結果、越来王子がダークホースの形で第一尚氏王朝6代の王尚泰久(しょうたいきゅう)となるや、金丸はいよいよ重用され対外交易の長官御物城御鎖之側(おものぐすくおさすのそば)にまで出世した。ところが尚泰久の死後7代の王となった尚徳(しょうとく)とは意見があわず、退けられることとなり、領地内間(うちま)に隠遁(いんとん)した。1469年、尚徳が若くして世を去ると、不満勢力がクーデターを起こして権力を奪い、新しい王に金丸を推した。金丸は即位して尚円と号し、新王朝(第二尚氏王朝)を開いた。1472年、明(みん)の皇帝憲宗(けんそう)の派遣した官栄(かんえい)らにより冊封(さくほう)を受け、新王朝の基礎づくりに尽くし、その事業は息子尚真(しょうしん)の代に完成する。伊是名島には彼の出自を伝える名所があり、また、彼の足跡を示す宜名真御殿(ぎなまうどぅん)(国頭(くにがみ)村)、内間御殿(西原(にしはら)町)も文化財として残っている。
[高良倉吉]