山下太郎(読み)やましたたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山下太郎」の意味・わかりやすい解説

山下太郎
やましたたろう
(1889―1967)

実業家。秋田県平鹿(ひらか)郡(現横手市)の旧家に生まれる。札幌農学校を卒業後、一時飴(あめ)などの仲買いを行ったが、第一次世界大戦中に貿易業に転進、財をなした。大戦後は思惑(おもわく)の失敗から多大な負債を抱えたが、満鉄社宅の建築を受注して危機を脱し、それをもとに「満州太郎」とよばれるほどの成功を収めた。第二次世界大戦後、在満資産のすべてを失ったが、石油事業に着目、1956年(昭和31)サウジアラビアからペルシア湾に石油利権を獲得してアラビア石油を設立した。同社は1960年に採掘に成功、山下一転アラビア太郎」と称された。

[柴 孝夫

『高多清在著『風雲児アラビア太郎』(1967・宮川書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下太郎」の解説

山下太郎 やました-たろう

1889-1967 大正-昭和時代の実業家。
明治22年4月24日生まれ。満鉄の社宅建築で財をきずき「満州太郎」とよばれる。昭和32年サウジアラビアから石油開発利権を得,33年アラビア石油を創立。油田開発に成功し,今度は「アラビア太郎」といわれた。昭和42年6月9日死去。78歳。秋田県出身。東北帝大農科大学(現北大)卒。
格言など】人間真価は,困難のときわかるものである

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山下太郎の言及

【アラビア石油[株]】より

…日本最初の海外石油資源開発会社。1957年,日本輸出石油社長の山下太郎(1889‐1967)が,サウジアラビア政府と石油利権獲得のため交渉を重ねた結果,サウジアラビアおよびクウェートの中立地帯沖合地域の石油開発利権協定を締結したことに始まる。翌58年2月,山下太郎(後年〈アラビア太郎〉と呼ばれた)は,石坂泰三ら財界の協力のもと,電力,鉄鋼,商社など日本の代表的企業40社の参加を得て,アラビア石油(株)を設立した。…

※「山下太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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