日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラビア石油」の意味・わかりやすい解説
アラビア石油(株)
あらびあせきゆ
日本最大の産油会社。1958年(昭和33)、その前年の1957年にサウジアラビアの利権を獲得した初代社長山下太郎が、政財界の協力を得て設立。同年クウェートにおける利権取得にも成功し、日本の海外石油自主開発の先駆けとなった。同社は両国中立地帯沖合で試掘を開始、1960年、利権取得後1年半余で大油田を掘り当て、カフジ油田と命名。その後も同油田付近でフート油田、ルル油田、ドラ油田などの開発に成功した。カフジ原油は硫黄(いおう)含有量が多いため、需要先と協力して排煙脱硫装置を設置するなどの努力を重ねるとともに、重質油の分解処理に携わるユリカ工業を設立した(1971)。資本金130億円(2008)、売上高2912億円(2008)。カフジに製油所をもっていた(1999年閉鎖)。2000年(平成12)と2003年に期限が到来するサウジアラビアとクウェートとの石油利権協定を延長するための交渉が行われてきたが、サウジアラビアとの交渉では、利権更新の条件として日本の負担による鉱山鉄道の建設・運営を求めるサウジアラビア側と、採算の問題から難色を示す日本側との交渉が難航。結局、石油利権の更新はならず、2000年2月28日、サウジアラビアに対する採掘権は失効した。この結果、日量約30万バレルの権益の半分がサウジアラビアに接収されることになった。2003年1月に期限の切れるクウェートとの更新交渉でもアラビア石油は採掘権を失った。ただし、クウェートとは2023年までの原油売買契約が結ばれている。2003年富士石油と経営統合し、持株会社AOCホールディングスを設立、富士石油とともにその子会社となった。
[橘川武郎]
『『アラビアに生きる〈アラビア石油〉15年の砂漠体験』(1974・アラビア石油株式会社)』▽『アラビア石油株式会社社史編纂プロジェクトチーム編『湾岸危機を乗り越えて アラビア石油35年の歩み』(1993・アラビア石油株式会社)』