山之内仰西(読み)やまのうち・こうさい

朝日日本歴史人物事典 「山之内仰西」の解説

山之内仰西

没年元禄11.1.26(1698.3.8)
生年:生年不詳
江戸中期の伊予国(愛媛県)浮穴郡商人屋号山田屋,名は彦左衛門光実,仰西は号。久万入野の両村は用水源に乏しく,西明神村(いずれも久万町)の天丸川を堰とめ,樋をつないで取水したが,洪水のたびに破損した。彼は恒久策として途中に横たわる安山岩を掘削して水路を通ずる計画をたて,多数の人夫を雇い3カ年の歳月をかけて完了させた。用水路は長さ57m,幅2.3m,深さ1.5mあり,下流25haの水田を潤したが,彼は工事に私財を投じたため破産した。この水路は現存し,「仰西渠」と呼ばれ,県指定の史跡となっている。なお三坂峠の改修工事にも貢献した。<参考文献>菅南太郎『愛媛農業史』中

(景浦勉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山之内仰西」の解説

山之内仰西 やまのうち-こうさい

1619-1698 江戸時代前期の治水家。
元和(げんな)5年生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)久万町(くままち)村の商人。私財を投じて西明神村南麓の岩をうがち,入野・久万町両村に通じる水路を完成させた。用水路は仰西渠(きょ)とよばれた。元禄(げんろく)11年1月26日死去。80歳。名は光実。通称は彦左衛門。屋号は山田屋。

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