日本歴史地名大系 「山之口村」の解説
山之口村
やまのくちむら
現山之口町の中央部から北部を占め、東は北流する
慶長一九年に鹿児島藩直轄領となり、大寺主計助が初代山之口地頭として入った。同時に都城島津家の家臣団が撤収したので、元和期(一六一五―二四)まで鹿児島藩諸外城から七五人を百姓として移住させている。寛永四年(一六二七)七月中旬より稲に小蠅という虫害が発生し、窮迫した士中より給知の返上があり、山之口衆中の本高は小高となったという。同一八年八月にも虫害のため不作となり、その後も百姓数と耕地の不均衡が続いた。万治二年(一六五九)には万治内検の結果として山之口郷への百姓の「人配」を行い、当村には男女五九人が移住させられている。
山之口村
やまのくちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報