精選版 日本国語大辞典 「山名宗全」の意味・読み・例文・類語
やまな‐そうぜん【山名宗全】
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…義敏の跡職はその子松王丸に与えられたが,このころ勢力を強めてきた朝倉義景が中心となり,幕府に働きかけて61年(寛正2)に九州探題渋川氏の一族義廉に斯波家の家督を継がせることに成功した。細川勝元は義敏を,山名宗全は義廉を支持したことから,分国では家臣の対立が,幕府との関係では双方の家督争いが続いた。65年には義敏が幕府に召還され,翌年に家督を認められた。…
…西陣織の産地として有名である。地名は応仁・文明の乱において西軍(山名宗全)方の陣所となったことに由来する。この地を西陣と呼んだ初見史料は《蔭涼軒日録》文明19年(1487)正月24日条で,常在光寺の荒廃に触れて〈西陣辺〉と記され,乱後10年目にはすでに地名化していた。…
…室町時代の武将。時熙(ときひろ)(常熙(じようき))の子。法名宗全。将軍足利義持の偏諱(へんき)を与えられる。長兄満時は侍所頭人(とうにん)も務めたが若くして没し,次兄持熙も将軍義教に疎まれたため,嫡子となり,1433年(永享5)但馬,備後,安芸,伊賀の守護職を譲られ,37年持熙を討って惣領権を確立する。40年には,1402年(応永9)に寺納年貢1000石で守護請した高野山領備後大田荘の年々の未進累積額が2万0600石余に達したことを理由に,代官犬橋氏を改替するよう高野山側から訴えられている。…
※「山名宗全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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