山木検校(読み)やまきけんぎょう

朝日日本歴史人物事典 「山木検校」の解説

山木検校(2代)

没年嘉永7.1.23(1854.2.20)
生年寛政12(1800)
江戸後期の山田流箏曲家。名は太賀一。文政2(1819)年に検校になり,山田検校門下初代山木検校松州一(1820没)のあとを継いで2代目山木となった。山木家は山田流箏曲芸系の御三家のひとつ。作品に「寿くらべ」「子の日の遊」「夏の詠」など。「深夜の月」「茶音頭」「宇治巡り」などの京風手事物には独自の箏の手を付けて山田流に普及させた。ねじって取り付ける箏のねじ足や「三つ指」の手法を創案したとも伝える。一中節の「吉原八景」「賤機」などを一中節と箏の掛合物に編曲したともいう。美声家であり,「美音山木」といわれた。門下に3代目山木検校大賀一など。3代目門下の4代目山木は,山木千賀と名乗って明治期に活躍した。

(野川美穂子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山木検校」の解説

山木検校(2代) やまきけんぎょう

1800-1854 江戸時代後期の箏曲(そうきょく)家。
寛政12年生まれ。山田流山木家2代家元。初代にまなび,奥島勾当(こうとう)をへて文政2年検校。美声家として知られ,「寿くらべ」「子(ね)の日の遊(あそび)」「夏の詠(ながめ)」などを作曲した。嘉永(かえい)7年1月23日死去。55歳。江戸出身。姓は笠井。名は大賀一。

山木検校(3代) やまきけんぎょう

1835/37-1871/73 幕末-明治時代の箏曲(そうきょく)家。
天保(てんぽう)6/8年生まれ。山田流山木家3代家元。2代にまなび,山宮勾当(こうとう)をへて18歳で3代山木検校を襲名三味線,雅楽にも堪能であった。明治4/6年9月死去。35/37/39歳。江戸出身。本名は斎田利賀。名は太賀一。

山木検校(初代) やまきけんぎょう

?-1820 江戸時代後期の箏曲(そうきょく)家。
山田流御三家のひとつ山木家初代家元。山田検校にまなび,木村勾当(こうとう)をへて寛政12年木村検校となる。山木検校を名のった時期は不明。文政3年1月12日死去。名は松州一。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山木検校」の意味・わかりやすい解説

山木検校(2世)
やまきけんぎょう[にせい]

[生]寛政12(1800)
[没]嘉永7(1854).1.23. 江戸
山田流箏曲家。都名 (いちな) 太賀一。本姓笠井。前名奥島勾当。1世山木検校に師事し,文政2 (1819) 年検校登官。作品に『子 (ね) の日の遊』『夏の詠』『寿くらべ』などがある。

山木検校(3世)
やまきけんぎょう[さんせい]

[生]天保6(1835)/天保8(1837).江戸
[没]明治4(1871)/明治6(1873).9.7. 東京
山田流箏曲家。都名 (いちな) 太賀一。本姓斎田。前名山宮。嘉永3 (1850) 年検校登官。2世の遺言により 18歳で3世を襲名。

山木検校(1世)
やまきけんぎょう[いっせい]

[生]?
[没]文政3(1820).1.12. 江戸
山田流箏曲家。前名木村検校。都名 (いちな) は松州一。寛政 12 (1800) 年,寺家村検校を師として検校に登官。門下に2世山木検校のほか,2世木村検校千代一,玉川検校萩之一らがいる。

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