朝日日本歴史人物事典 「山木検校」の解説
山木検校(2代)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の山田流箏曲家。名は太賀一。文政2(1819)年に検校になり,山田検校門下の初代山木検校松州一(1820没)のあとを継いで2代目山木となった。山木家は山田流箏曲芸系の御三家のひとつ。作品に「寿くらべ」「子の日の遊」「夏の詠」など。「深夜の月」「茶音頭」「宇治巡り」などの京風手事物には独自の箏の手を付けて山田流に普及させた。ねじって取り付ける箏のねじ足や「三つ指」の手法を創案したとも伝える。一中節の「吉原八景」「賤機」などを一中節と箏の掛合物に編曲したともいう。美声家であり,「美音山木」といわれた。門下に3代目山木検校大賀一など。3代目門下の4代目山木は,山木千賀と名乗って明治期に活躍した。
(野川美穂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報