改訂新版 世界大百科事典 「山本飼山」の意味・わかりやすい解説
山本飼山 (やまもとしざん)
生没年:1890-1913(明治23-大正2)
日露戦争後の社会主義的青年。東京生れ。本名一蔵。父の死後,長野県松本郊外で育つ。小学校時代から無教会派キリスト教の感化を受け,松本中学時代には社会主義思想に接近し,日露戦争では人道主義的・社会主義的立場から非戦論を主張する。早稲田大学進学後,石川三四郎や幸徳秋水とも交わり,クロポトキンの無政府主義思想に最も傾倒する。大逆事件後,大杉栄らの雑誌《近代思想》に評論や翻訳を寄せるが,のちに離れ,社会変革より自己変革を優先するようになり,キリスト教・老荘思想・絶対他力本願の思想へと足早な思想の彷徨(ほうこう)をたどる。早稲田卒業後,社会主義者の嫌疑のゆえに就職の道を閉ざされたことも加わり,現世から離脱しようとして,鉄道自殺をとげた。〈冬の時代〉下の窮死といえる。友人の手で《飼山遺稿》(1914)が編まれた。日露戦後世代の主体形成や思想の軌跡を象徴する青年である。
執筆者:荻野 富士夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報