山村雅昭(読み)やまむらまさあき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山村雅昭」の意味・わかりやすい解説

山村雅昭
やまむらまさあき
(1939―1987)

写真家。大阪府に生まれ、まもなく東京神田須田町へ移る。中学生のころより写真撮影を始める。玉川学園高等部在学中から写真雑誌『サンケイカメラ』『カメラ毎日』の月例欄へ活発に作品を投稿し、多数入選。1958年(昭和33)日本大学芸術学部写真学科へ入学。翌1959年から1962年まで駐留アメリカ軍関係者のための住宅ワシントンハイツ(東京都渋谷区)周辺へ通い、そこで暮らす子供を撮りつづける。アフリカ系アメリカ人の子供が遊ぶ姿をスナップした作品『黒いひとみの』で1961年に『カメラ毎日』月例年度賞受賞。同年から翌年にかけて、数々のフォトコンテストで受賞を重ねる。1962年大学を卒業。1960年代後半まで雑誌『女性自身』の嘱託カメラマンを務める。1963年、東京国立近代美術館で開催された「現代写真展」に出品。公園などの屋外空間にある人物銅像を撮り、複数の視点からのショットを一つの画面内にモンタージュ的処理によって繋ぎあわせた一連の作品を、1967年開催の初個展「奢(おご)りへの戴冠」(村松画廊、東京)で発表。1968年編集同人として、詩人奥成達(たつ)(1942― )、漫画家上村(かみむら)一夫(1940―1986)らと雑誌『NON』創刊に参画(第1号「特集・暴動」を発行後は休刊)。

 1960年代末から1970年代初頭にかけて、地面に落ちた人物の影や、墓場光景を撮影したモノクロームの陰影深い作品を雑誌などに発表。1974年地上に繁茂するさまざまな植物群を撮りはじめる。翌1975年リュウゼツランを日中にストロボ光を使って撮影し、新しい植物写真のあり方に開眼。ストロボ光の効果により、空や背景を暗部に落とし、植物の生々しい姿態を浮かび上がらせた作品群を、1976年開催の個展「植物に」(ニコンサロン、東京)で発表、同展で伊奈信男賞受賞。同年、写真集『植物に』を出版する。1979年ニューヨークの国際写真センター(ICP)で開催された「ジャパン――ア・セルフポートレート」展に出品。植物を主題とする撮影をさらに続け、それまでのモノクロ中心の撮影からカラー・フィルムによる表現へ移行。雑誌『遊』1982年9月号に32ページにわたり作品「花蝶風月」を一挙掲載し、話題を呼ぶ。同年、個展「植物祭」(ニコンサロン、東京)を開催。カラー作品による写真集『花狩』をまとめ、刊行の直前に47歳で死去。1999年(平成11)学生時代から晩年までのモノクローム作品をまとめた個展「MONOCHROME――山村雅昭の仕事」(ニコンサロン、東京)が、夫人や友人らにより開催された。

[大日方欣一]

『『植物に』(1976・TBデザイン研究所)』『『花狩』(1988・アドバタイズ・コミュニケーション)』『『MONOCHROME――山村雅昭の仕事』(1999・光村印刷)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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