山林儒生(読み)さんりんじゅせい

改訂新版 世界大百科事典 「山林儒生」の意味・わかりやすい解説

山林儒生 (さんりんじゅせい)

朝鮮で李朝時代に,権力者との政治的・思想的立場の相違から仕官せず,野人(在野の人)として高潔を誇り,しばしば山中に住んで学問に専念した人々。山林処士,隠士ともいう。広い意味では士林派をさす。高麗末・李朝初期に朱子学者の鄭夢周吉再金叔茲らは,忠臣二君に仕えずとして高麗王朝への節義を守り,新王朝(李朝)に仕官しなかった。そのため,鄭夢周は李成桂に殺され,吉再,金叔茲は山林に逃れて弟子の養成に専念し,朱子学を発達させた。そこで彼らは山林学派とも呼ばれた。世宗朝のころから,彼らの中で仕官する者もふえ,15世紀後半以降は,政治革新が叫ばれる中で,嶺南(慶尚道)の金宗直(金叔茲の子)を中心とするこの学派から,多くの人材が登用された。彼らは新進士類,士林派と呼ばれ,勲旧派(権力を握る既成勢力)と対決した。そのため,士林派は勲旧派から過酷な弾圧士禍)をうけた。その後も党争激化の中で,政権から追放された山林学派は,富貴を求めず,野に下って自己の信念を貫いた。彼らはしばしば正義,王道,民生の安定などを主張して腐敗した政権を批判した。民衆もみずからの思想に殉じようとする山林儒生の倫理的姿勢に共感し,それこそが知識人指導者のあるべき姿だとする風土を朝鮮に生みだした。
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