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鄭夢周 ていむしゅう Chǒng Mongju

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鄭夢周
ていむしゅう
Chǒng Mongju

[生]忠粛王7(1338)
[没]大祖1(1392)
朝鮮,高麗末期の政治家,儒学者。慶尚道迎日の人。字は達可。号は圃隠。諡は文忠。恭愍王9 (1360) 年文科の壮元 (首席合格) で官界に入り,昇進して門下侍中都評議使司に進んだ。 1368年中国に明が建国されると明交代とともに明との国交樹立に活躍し,一方,女真族や倭寇の討伐にも参加,ご王3 (77) 年には日本の博多に来て倭寇の禁圧について交渉した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鄭夢周 てい-むしゅう

1337-1392 高麗(こうらい)(朝鮮)の政治家,学者。
忠粛王6年生まれ。永和3=天授3年(1377)来日し,九州探題今川了俊と倭寇(わこう)の取り締まりについて交渉した。性理学(宋学)をきわめ,東方理学の祖とよばれる。李成桂(朝鮮王朝の太祖)を王位につけようとする動きに反対したため恭譲王4年4月4日暗殺された。56歳。慶尚道出身。初名は夢蘭,のち夢竜。字(あざな)は達可。号は圃隠。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鄭夢周

没年:恭譲4.4.4(1392.4.26)
生年:忠粛6(1337)
高麗末期の文官,学者。日本語読みは「てい・むしゅう」。字は達可。諱ははじめ夢蘭,のち夢竜,夢周。号は圃隠。本貫(籍)は慶州迎日県(慶尚北道)。永和3/天授3(1377)年,倭寇禁圧を求める使者として来日,博多で九州探題今川貞世と交渉した。貞世管下の禁賊を約束させ,倭寇の捕虜となった高麗人数百人を買得して,翌年高麗に連れ帰った。また明への使節も務めている。恭譲王4(1392)年,李成桂を国王にする計画を阻止しようとして,逆に芳遠(李成桂第5子,のちの太宗)によって開城の善竹橋の傍らで殺害された。性理学を研究し,東方理学の祖とされる。<著作>『圃隠集』<参考文献>青山公亮『日麗交渉史の研究』

(関周一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ていむしゅう【鄭夢周 Chŏng Mong‐ju】

1337‐92
朝鮮,高麗末期の文臣,学者。初名は夢蘭,夢竜。字は可遠。号は圃隠。慶尚道迎日の人。王朝交替期の政治家として活躍,対明関係の修復に功があり,倭寇の取締りを求めて来日したこともある。李成桂(李朝の太祖)等と恭譲王を擁立した後,李成桂推戴の動きに対抗し,高麗を支えようとしたが,李芳遠(太宗)の門客の手にかかり,開城の善竹橋で暗殺された。《朱子家礼》《大明律》により,社会倫理と法秩序の確立を図り,また学校を整備し,朱子学によって後進の指導につとめたので,李穡(りしよく)に〈東方理学の祖〉と評された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鄭夢周
ていむしゅう
(1337―1392)

朝鮮、高麗(こうらい)末期の政治家、儒者。慶尚(けいしょう)道迎日の人。号は圃隠(ほいん)。滅亡の道をたどる高麗王朝に最後まで忠誠を尽くし、その存続のため政治(地方官の刷新、法制の整備)に外交(明(みん)朝成立後、親明外交を推進)に東奔西走の活躍をした。学者としても東方理学の祖といわれたほどの卓抜な朱子学理解を示し、門下から次の李朝(りちょう)朱子学を担う逸材が輩出した。恭譲王を追放して王位につこうとした李成桂(りせいけい)を除こうとして、李一派に暗殺されたが、二朝に仕えることを拒否した彼は、かえって李朝で高い評価を受け、長く慕われた。[小川晴久]

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