日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄭夢周」の意味・わかりやすい解説
鄭夢周
ていむしゅう
(1337―1392)
朝鮮、高麗(こうらい)末期の政治家、儒者。慶尚(けいしょう)道迎日の人。号は圃隠(ほいん)。滅亡の道をたどる高麗王朝に最後まで忠誠を尽くし、その存続のため政治(地方官の刷新、法制の整備)に外交(明(みん)朝成立後、親明外交を推進)に東奔西走の活躍をした。学者としても東方理学の祖といわれたほどの卓抜な朱子学理解を示し、門下から次の李朝(りちょう)朱子学を担う逸材が輩出した。恭譲王を追放して王位につこうとした李成桂(りせいけい)を除こうとして、李一派に暗殺されたが、二朝に仕えることを拒否した彼は、かえって李朝で高い評価を受け、長く慕われた。
[小川晴久 2016年10月19日]