山
郷
やまさきごう
「和名抄」刊本は「夜末佐岐」と訓じる。史料により山前・山埼・山碕・山崎などと記される。
「日本書紀」白雉四年(六五三)条に「天皇、恨みて国位を捨りたまはむと欲して、宮を山碕に造らしめたまふ」とあり、皇太子らの飛鳥(現奈良県高市郡明日香村)移転に反対した孝徳天皇が、皇位をすてようとし、山碕の宮を造らせたという。また天平一三年(七四一)の東大寺奴婢帳(東南院文書)には「乙訓郡山埼里」とみえる。郷としては天平一九年二月一一日付大安寺伽藍縁起并流記資財帳(正暦寺蔵)に「山前郷」とみえる。
郷域は現乙訓郡大山崎町の大山崎を中心とした地帯に比定され、水陸交通の要地であることから、「山埼津」(「日本後紀」大同元年九月二三日条)、「山埼駅」(同書弘仁二年閏一二月一四日条)、「山埼橋」(行基年譜)などが設置された。
山郷
くわやまごう
「和名抄」所載の郷で、訓を欠く。東急本は安達郡とする。「大日本地名辞書」は瀬上・鎌田・宮代・飯坂(現福島市)辺りとする。「日本地理志料」は現伊達郡川俣町山木屋の桑山を遺称地とし、現川俣町・同郡飯野町をあげる。山木屋の字名に桑山・桑向・下桑がある。神護景雲三年(七六九)三月一三日「信夫郡人外従八位下吉弥侯部足山守等七人」に「上毛野鍬山公」を賜姓されている(続日本紀)。
山
郷
やまざきごう
「和名抄」所載の郷。山城国乙訓郡・駿河国駿河郡の同名郷の訓注が「夜末佐岐」「也萬左木」とあるのに従う。現海津郡南濃町中部にある大字山崎を遺存地名とみて、津屋川が揖斐川に合流する駒野から、その下流の山崎に至る城山地区一帯に比定する説が有力である(「岐阜県史」「濃飛両国通史」「大日本地名辞書」「日本地理志料」など)。なお同地は中世に郡戸庄の一部をなしたと考えられ、同庄の本所は山崎の北に位置する上野河戸とする説から(「新撰美濃志」「濃飛両国通史」「大日本地名辞書」など)、当郷を郡家の所在地とする説が「濃飛両国通史」にみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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普及版 字通
「山郷」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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