精選版 日本国語大辞典 「山」の意味・読み・例文・類語
やま【山】

さん【山】
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楢山には多くの町があるので、現在の町ごとにかつてあった町名を記す。南通亀の町には
家臣団の再編成に伴う三回目の町割は寛永六年(一六二九)実施された。それが
「梅津政景日記」寛永六年一〇月一四日条に、
とある。同書八月二三日条に、「楢山御足軽町新町・古町共ニ見通し極申候」とある新町・古町は、新屋敷・本屋敷と照応するようだが、古町・本屋敷は明確でない。この足軽屋敷を正保(一六四四―四八)の出羽国秋田郡久保田城画図(内閣文庫蔵)と照合すると、楢山登町・楢山九郎兵衛殿町・同餌刺町・同三枚橋・同笊町・同末無町・同医王院前町・十軒町・米沢町・楢山入川橋通登町などがそれにあたる。
楢山登町は「伊頭園茶話」に幟町とし、「元と五十人組御足軽の住む町を、ノボリ町と今もいふ。そを昇町と書く人多し、幟町と書くべし、五十人ハ幟を持の勤也、先年迄は幟を背負ふて歩行く事を稽古の事あり、此一ト組は御物頭第一の先輩の組となる御先例なり」と由緒を語る。また楢山登町は藩主参勤の通路にあたり、虎の口追手三の門を登町へ出て、入川橋通登町・牛島橋通を経て牛島村に至ったという。ただし、享保(一七一六―三六)頃の御城下絵図(秋田県庁蔵)に、牛島橋通東部は「七軒町」とみえ、その西側は「秋田名蹟考」に「弘願院前」といわれたとある。
九郎兵衛殿町を菅江真澄は「笹屋日記」に「この久保田のなら山
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
周囲の低平な地形面から突出し、比高が大きい地表部(地殻)。どの程度の比高があれば「山」とよぶかは、地方、国、研究者などで異なる。
[有井琢磨]
山には火山作用や侵食作用で形成され、孤立してそびえているものがあるが、多くの山はある範囲に集まっており、それらの全体を山地とよぶ。山地は細かく分類され、脈状に連なった山体を山脈、塊状のものは山塊、不規則に集まったものを山彙(さんい)、山脈や山塊などの集合を山系とよんでいる。一般に山といえば、陸上にある山体をさすことが普通であるが、海面下すなわち海底にある山体は、海嶺(かいれい)、海膨(かいぼう)、海底山脈、海底火山、海山などとよばれている。これらの地形の配置や成因などは、海溝、海盆などの海底地形と、陸上の大山脈、弧状列島、台地、楯状地(たてじょうち)などの大地形とともに、プレートテクトニクス説で統一的に説明されるようになった。
山地は起伏によって、(1)低山性山地(低山性丘陵)、(2)中山性山地、(3)高山性山地に分類されることがある。この場合、(1)は標高約1000メートル以下の起伏量、(2)は1000~3000メートルの起伏量、(3)は3000メートル以上の起伏を有する山地をさしている。ヒマラヤ、天山、アルプス、ロッキー、アンデスなどの諸山脈は、著しい氷河地形と周氷河地形で侵食され、典型的な高山性山地景観を表している。飛騨(ひだ)、木曽(きそ)、赤石(あかいし)、日高などの日本の山脈の高所にも高山性山地の景観がみられる。
山地は、谷底、谷壁、尾根、山頂、小起伏面などの侵食地形の発達状態によって、幼年山地、早壮年山地、満壮年山地、晩壮年山地、老年山地などに分類されている。低山性山地は幼年山地の特色を現し、高山性山地は満壮年山地の特色を現す場合がある。
また、山地を形成した営力によって、(1)火山作用で形成された火山、(2)侵食作用で形成された残存山地、(3)地殻運動で形成された山地などに分類される。(1)の火山は、形態と構造から、単式火山(成層火山、楯状火山、溶岩円頂丘、溶岩尖塔(せんとう)、砕屑(さいせつ)丘、火砕流台地、溶岩台地など)と複式火山(複成火山。カルデラや単式火山の複合)などに分類される。カルデラをもつ複式火山では、二重式火山(中央火口丘と一つのカルデラ)、三重式火山(中央火口丘と二つのカルデラ)などの区別がある。また火山には、噴出位置によって陸上火山、海底火山、氷底火山の区別があり、火山体における噴出位置によって側火山(寄生火山)、中央火口丘などの区別があるほか、火山活動の仕方によっては爆発型と静穏型、火山の活動・噴出時代によっては、近年あまり用いられなくなったが活火山および休火山、死火山などの区別がある。(2)の残存山地には、湿潤気候地域の侵食で生じた残丘、乾燥地域に生じたインゼルベルクInselberg(ドイツ語)やボルンハルトBornhardt(ドイツ語)とよばれるものなどがある。これらの山は、他の類型の山に比べて小規模であり、その分布範囲も狭い。(3)の山地には、褶曲山地(しゅうきょくさんち)、曲隆山地、ドーム状山地、断層山地、傾動山地などがある。
造山期によって山を区分する場合には、普通、中生代中期までの古期造山運動で生じた山地と、中生代末以降の新期造山運動で生じた山地とに分け、また各山地が形成された地質時代を基準にして、古生代褶曲山地、中生代褶曲山地、新生代(新期)褶曲山地などのように分けられる場合もある。
[有井琢磨]
陸地にある山は、地表の限られた帯状地域に分布する傾向がある。すなわち、アルプス‐ヒマラヤ造山帯、環太平洋造山帯には世界で第一級の高峰が集中し、火山帯、地震帯などの分布とも一致している。このほか中央アジアからロシア東部にかけての地域、アフリカ北西部や南東部、北アメリカの東部などに山の集中している所がある。
[有井琢磨]
山は、平地からは視覚的に絶えず仰ぎ見る対象であり空間的な指標となっていて、人間にとっては印象深い存在である。気温や植相をはじめ、さまざまにその環境は平地とは異なっているため、山が平地の通常の生活空間とは異なる世界として人々に認識されていることは、ほぼ普遍的である。その認識は、一方では聖なる空間としての山であり、とくに農耕民にとっては山は水源であり、灌漑(かんがい)水をつかさどる神まで想定していた。しかし、他方では、環境の異質性は、平地に常住する人々にとっては不案内であり危険も伴うために、不気味で不可思議な世界とも考えられる傾向もある。
第一の認識は山を神の世界とするものである。古代ギリシアではオリンポスをはじめ山は神々の世界であり、日本の記紀神話にも、山が神々の空間であることは「天香久山(あめのかぐやま)」などの表現からも明らかである。あるいは、山は天上の世界から神が降臨する場所と考えられており、現在でも、神社の祭礼に使われる山車は、「ダシ」または「ヤマ」とよばれ、神の降臨する依代(よりしろ)と考えられている。仏教においても須弥山(しゅみせん)、ユダヤ教ではシナイ山など、山が宗教成立の原初と結び付いていることから、山が宗教と結び付く現象は普遍的であるといえよう。
一方、山を不気味な空間とみる結果、中世のヨーロッパでは、山は妖怪(ようかい)や妖精、魔女のすみかと考えられていたし、山岳信仰の篤(あつ)い日本でも、山間に漂泊する採集狩猟民や木挽(こびき)、木地師(きじし)などに対する偏見と結び付いて、「山人(やまひと)」「山姥(やまんば)」「山男・山女」などの伝説が数多くあった。柳田国男(やなぎたくにお)の『遠野物語』『山の人生』などに記される山人は、身体が大きく、毛髪や目が通常の日本人と異なる「異人」のイメージであり、またその能力が並はずれた超人のイメージである。天狗(てんぐ)などの信仰は山人の信仰と同一線上にある。山地をつかさどるのは「山の神」であるが、山の神とは、また、出産をつかさどる神、木挽や狩猟者など山地で働く人々の守護神、豊穣(ほうじょう)をもたらす神であるとともに、しばしば祟(たた)り神ともなり、多様で複雑な性格をもっている。このことは、日本人が山に対して複雑で矛盾する認識をもっていることの表れである。
山が死者の行く世界であるという、いわゆる山中他界観は、日本、中国、朝鮮、ヨーロッパ、東南アジア、南アジアの各地に広くみられる。ヨーロッパには、英雄は死ぬのではなく、山の中に一時的に隠れていて、自分の民族の危急のときにはふたたびよみがえり、自らの民を救うという伝説があり、これは、山を神々の世界だとする信仰と死者の世界だとする考え方の融合だとみなすことができる。同様なことは日本でもみられる。しかも、日本の氏神ないし山の神は祖霊と同一視されることが多く、氏神―祖霊―山の神―田の神とが同一視され、このような神の多面性と変貌(へんぼう)は、村(里)と山という空間を対立的にとらえることにより、その異質の空間を移動するとともに神が変貌するという信仰は、日本人の世界観の一つの表現であるといえよう。
インドネシアのバリ島は、島の中央に山脈がある。バリの文化には、色彩、右と左、方位、垂直的上下をはじめ、明確で複雑に発達したシンボリズムがみられる。方位は他のものと結び付いてとくに重要な象徴的意味をもっているが、山脈を境とし、島の北部では、北は宗教的に劣位の方角で、南は優位の方角である。ところが、島の南部ではその関係が逆になり、北が優位、南は劣位の方角となる。つまり、山は聖なる空間、宗教的に優位の空間という認識が、方位のシンボリックな意味を決定していることがわかる。先に述べたように、山は空間上の指標となるため、人々の世界観を形成する大きな要因となるといえよう。
山はまた、地理的な境界線であり、山脈を挟んで山の両側の気候や風土が著しく異なることがある。また、生業形態、経済、言語(方言)、風俗習慣が異なることが多く、そのため、山の稜線(りょうせん)(尾根)や峠は、とくに境界線として特別の関心が払われることになる。日本でも各地の峠には山の神や「ヒダル神」などが祀(まつ)られたり、さまざまな伝説が伝えられるなど、特別に意味のある空間として認識されることがある。アルプスやピレネー山脈の山地で、峠にマリア像が祀られるのも同じ認識から出た信仰表現である。
山に対する信仰は、大きく二つに分けられる。(1)特定の山、とくに、その形が秀麗であるとか、万年雪を頂いている、あるいは平地の中に一峰だけ非常に目だつ形で存在しているなどによって、山が神格化されたり、特別な聖域として信仰の対象になっている場合である。日本の富士山や岩木(いわき)山(青森県)あるいは三輪(みわ)山(奈良県)、またメキシコのポポカテペトル山などがそれである。修験道(しゅげんどう)の発展のなかでその山で修行したり、その山に登山すると特別な験(しるし)があるとされた出羽(でわ)三山(山形県)、大峰(おおみね)山(奈良県)、英彦(ひこ)山(福岡県)などがそれにあたる。(2)には、山というものがもつ異質性が信仰の対象になっていることで、山への信仰と非常によく似た内容が海や、平原に住む人々の森林に対する信仰にみいだせる。先述の、ヨーロッパ大陸で英雄が山隠れをする信仰が、イギリスではアーサー王の「島隠れ」の伝説になっている。日本の本土では山中他界観が、南西諸島には海上他界観が強い。このように、山に関する信仰は海などへの信仰との比較で考えてゆかなければならない。
[波平恵美子]
「倭人(わじん)は帯方(たいほう)の東南大海の中に在り、山島に依(よ)りて国邑(こくゆう)を為(な)す」と、古く3世紀の『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)も記すように、日本は島国であり、また山国でもあって、平地は全土の約16%にとどまり、残余はおおむね樹林に覆われた山地で占められている。そして、農耕生活とかかわりの多い集落周辺の「里山・端山(はやま)」、もっぱら山仕事に従う人々の生活の「場」としての「奥山・深山(みやま)」、さらには人跡まれな高峻(こうしゅん)の「岳」(たけ)と、人々と山界とのかかわりにもおのずから差違が生じて、それぞれに特異な民俗を生み出してきた。
水稲栽培は日本農業の根幹であり、それはおもに山谷から流れ出る「水」に依存した。河川の水源地帯にそびえ立つ秀峰の頂に神を祀(まつ)り、その山麓(ろく)の「里宮」や谷の入口の「山口の神」と対応させる形は広く各地にみられ、またその祭神を「水分神(みくまりのかみ)」とすることが多い。大和(やまと)(奈良県)などにはとくにその形がよく残っている。「雨乞(あまご)い」の行事を山上で行う習俗も一般的で、大火をたき、大声を発して雨をよび、あるいは山上の小池や谷奥の淵(ふち)を攪乱(かくらん)するなど、その作法は多様だが、山の「神霊」に「雨の恵み」を乞う趣旨は同じであり、それを「竜神」と考えている例も多い。岳に消え残る雪のあり方で作柄の豊凶を知る「雪占(ゆきうら)」や、特定の「雪型(ゆきがた)」の出現で「農作はじめ」(種播(たねま)きなど)の適期を知る風習なども、岳と農民とのかかわりを示す民俗の例であろう。稲作の守り神は広く「田の神」とよばれているが、収穫期が過ぎると田の神は田野を去って山に登り「山の神」になる、そして翌春「農作始め」にはまた里に下って「田の神」になる、と考えられてきた。苗代(なわしろ)の「水口祭(みなくちまつり)」や秋の「稲上げ・十日夜(とおかんや)」(案山子(かかし)あげ)などの行事からは、こうした神霊の「送り迎え」の意味がよくうかがえるが、しかしこうした「田の神・山の神」の神格は漠然としか思念されておらず、別段特定の「社祠(しゃし)」も設けられず、帰り鎮まる「山」さえ決まってはいない。
しかしこうした農民の「山の神」信仰は集落近くの「端山」に即したもので、阿武隈(あぶくま)山地の「葉山神」の祭りなどはその古意をとどめるものであろう。そこでは歳末、里近い秀峰に神霊を斎(いわ)い鎮め、来る年の豊凶を占う行事が夜を徹していまも行われている。正月の門松、小(こ)正月の若木や盆の供花を里近い山から採取することを「松迎え・盆花迎え(ぼんばなむかえ)」などとよぶ。山から神霊・精霊(しょうりょう)を迎えてくる意味で、盆前の「山道つくり」(盆道)も同じ趣旨であり、4月8日に山野の花をとってきて門口に挿す風習も似た形である。
死者の霊魂は山に行くと信じて、「山訪ね(やまたずね)」(亡魂を山に訪ね回る)や里近い山に死者を葬る風習が古くからあったことは『万葉集』の挽歌(ばんか)などからもうかがわれ、また各地に死者の霊魂が集まる所と信じられてきた山中の霊地もいくつかある。祖霊を山に祀る「山宮」の成立もこれと関連するとみられている。ともかく人里近い「端山」はこうして日本人の霊界についての想念と深くかかわっていた。なお「山あがり・山あそび・山ごもり」などと称して、早春に村人が里近くの山に登り、「遊山(ゆさん)」に1日を過ごす風習も注目されよう。
山奥の森林地帯は、木地師(きじし)(ろくろ師)、檜物師(ひものし)、杓子打(しゃくしうち)、木挽(こびき)、杣(そま)などの木工職人や、金掘、たたら師(製鉄)、炭焼きなどの鉱山職人たちの「生活の場」で、一般農民とはまた別趣の様相がみられた。鉱山関係職人は近世初期以後は特定地に集結して特異な集落をつくり、とくに製鉄関係者は「山内(さんない)」という同職者のムラを山中に形成して異色の協同生活を営んだ。しかしいずれも「金山(かなやま)神」の信仰中心に特異の習俗を伝来してきたことは変わらない。木工職人の類は転々と原材を求めてその居処を移し、「山中仮泊」の集落的生活を続けた。とくに「ろくろ」工具を用いる木地師は「職祖惟喬(これたか)親王」の故地と伝える近江(おうみ)国東小椋(おぐら)谷の神社を中心に特異な統制組織を築きあげ、諸国往来自在の特権を誇示してきた。いわゆる「木地屋文書」による稼業の保証である。それゆえ彼らの仲間生活にも種々特異な民俗がおのずから生じた。なお、俗界とまったく隔離した「さんか」の一団もそこにはあり、山野の蔓藤(つるふじ)・篠笹(しのささ)を材に箕(み)や籠(かご)をつくり、あるいは川魚を漁(すなど)って里人とわずかの交渉をもつにとどまった。しかし、こうした「山の流民」の跡もいまはかすかになった。
大形野獣の乏しい日本に専業狩人(かりゅうど)のできる条件は乏しかったが、東北地方のマタギをはじめ、九州や中部山地には若干その類があった。彼らは冬春には山岳を跋渉(ばっしょう)してシカ、イノシシ、クマ、カモシカの類を追い求め、久しく山中仮泊の生活を続けるため、「山岳立入り自在・狩猟認許」の特権をもつ必要があった。それらはどれも「山神(さんじん)信仰」に由来するもので、また別趣の信仰伝承を保持して、特異な狩猟習俗を残してもきた。秀麗な姿でそびえ立つ「岳」が神霊の宿る「神体山(しんたいさん)」として崇拝された由来は久しく、各地に残る「お山がけ」の成人儀礼もその源をそこに発しているが、これを主導したのは「修験道(しゅげんどう)」であり、熊野、吉野、羽黒はじめ各地にその拠点を古くつくりだした。古い山岳信仰を基に密教教義による特異の神仏混融の宗派が生じ、庶民生活にも大きな影響を及ぼしたことは説くまでもない。明治中期「アルピニズム」が導入されるまで、日本人の「山岳登高」はまったく修験の徒の先導で行われてきたのであった。
[竹内利美]
『都城秋穂・安芸敬一編『岩波講座 地球科学12 変動する地球Ⅲ――造山運動』(1979・岩波書店)』▽『町田貞・貝塚爽平他編『地形学辞典』(1981・二宮書店)』▽『柳田国男著『山の人生』(『定本柳田国男集4』所収・1966・筑摩書房)』▽『大林太良編著『山民と海人』(『日本民俗文化大系5』所収・1983・小学館)』
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本では府県の木や花を指定して地方の性格を代表させることもあり,天然記念物になっている名木も多い。著名な大木の例として,スギでは前述の縄紋杉のほか,高知県長岡郡大豊町字杉・千葉県安房郡天津小湊町清澄の大杉や日光の杉並木など,ケヤキでは新潟県東頸城郡松之山町・山形県東根市・山梨県中巨摩郡若草町三恵・山梨県北巨摩郡須玉町根古屋神社などの大木がある。【岩槻 邦男】
[利用]
木と人間は昔から深いかかわりをもっているが,その多くは木材の利用を通してである。…
…山中において旅人などの通行人から財物を奪取する強盗,またその集団。山立(やまだち),山落(やまおとし)ともいう。…
…〈やまろん〉ともいう。山林原野の用益をめぐって発生する紛争。山野利用の具体的な内容は,(1)果実等の採取,(2)狩猟,(3)薪炭等の燃料,(4)建築用材,(5)薬や染料,(6)飼料,(7)肥料,(8)鉱物等地下資源,(9)灌漑用水等,実に多様であり,かつ農民の生活と生産の再生産にとって非常に重要なものであった。…
…山間を生活の根拠として,独自な文化の体系を形成していたと考えられる人々。《延喜式》や《万葉集》などにも記されているが,その実体は不明な点が多い。…
※「山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
固定翼機でありながら、垂直に離着陸できるアメリカ軍の主力輸送機V-22の愛称。主翼両端についたローターとエンジン部を、水平方向から垂直方向に動かすことで、ヘリコプターのような垂直離着陸やホバリング機能...
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