岡山神社(読み)おかやまじんじや

日本歴史地名大系 「岡山神社」の解説

岡山神社
おかやまじんじや

[現在地名]神辺町道上

かめ山の西麓にある。祭神日本武命・吉備津彦命・吉備津姫命・孝霊天皇ほか。旧村社。江戸時代には岡山大明神・一宮大明神とよばれた。「水野記」に「社家之説曰、道上一宮大明神吉備津彦命之流也、四道将軍吉備津彦命下向西国之時、当国到岡山数々逗留云々、古来之社領不其員数、宮若狭守寄三拾貫、其後毛利家削之為拾五貫、又福島左衛門太夫没収之、依之土民等奉田六反、至于今社領也」とみえ、「福山志料」も同様の草創伝承を記したのち、「此宮ニ冑一弓一槍一文書一アリ、百姓磯村忠右衛門元祖越後浪人水野家ニ仕フ、農トナリシユヘ家ニオサメス奉納スト云」と記す。


岡山神社
おかやまじんじや

[現在地名]岡山市石関町

旭川端、近世石関いしぜき町と下出石しもいずし町に囲まれて位置する。祭神は日本武尊(備陽国誌)・倭邇邇日百襲比売命(「神社明細帳」池田家文庫)などの説がある。旧県社。創始は不明だが、城内岡山に鎮座し岡山大明神、または阪下大明神と称していたという。天正元年(一五七三)宇喜多直家により岡山城修築時現在地に移された。宇喜多秀家本殿造営小早川秀秋拝殿を造営。その後、阪折・酒下などの文字をあてていたが、万治年中(一六五八―六一)吉田家において酒折さかおり宮と改めた(吉備温故秘録)


岡山神社
おかやまじんじや

[現在地名]小城町小城町 本町

桜岡さくらおかの南麓に東向きに鎮座。寛政元年(一七八九)小城藩主直愈が、藩祖元茂を国武くにたけ明神、二代直能を矛治ほこなり明神として祀った(藩邸内かと思われる)のが最初である。文政九年(一八二六)大明神を称する。旧郷社。

天保年中(一八三〇―四四)神社として祀るための社地を調査した時、岡山上の三島みしま社の南を開発したところ、石棺が二つ出たので中止された。嘉永年中(一八四八―五四)に岡山の南部を開発したところ、さらに棺槨と朱詰めの人骨が出たので、岡町の妙教みようきよう寺に埋葬した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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