岡山神社
おかやまじんじや
[現在地名]岡山市石関町
旭川端、近世の石関町と下出石町に囲まれて位置する。祭神は日本武尊(備陽国誌)・倭邇邇日百襲比売命(「神社明細帳」池田家文庫)などの説がある。旧県社。創始は不明だが、城内岡山に鎮座し岡山大明神、または阪下大明神と称していたという。天正元年(一五七三)宇喜多直家により岡山城修築時現在地に移された。宇喜多秀家が本殿を造営、小早川秀秋が拝殿を造営。その後、阪折・酒下などの文字をあてていたが、万治年中(一六五八―六一)吉田家において酒折宮と改めた(吉備温故秘録)。
岡山神社
おかやまじんじや
[現在地名]小城町小城町 本町
桜岡の南麓に東向きに鎮座。寛政元年(一七八九)小城藩主直愈が、藩祖元茂を国武明神、二代直能を矛治明神として祀った(藩邸内かと思われる)のが最初である。文政九年(一八二六)大明神を称する。旧郷社。
天保年中(一八三〇―四四)神社として祀るための社地を調査した時、岡山上の三島社の南を開発したところ、石棺が二つ出たので中止された。嘉永年中(一八四八―五四)に岡山の南部を開発したところ、さらに棺槨と朱詰めの人骨が出たので、岡町の妙教寺に埋葬した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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