日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎乾二郎」の意味・わかりやすい解説
岡崎乾二郎
おかざきけんじろう
(1955― )
画家、彫刻家。東京都生まれ。父は建築家。1977年(昭和52)多摩美術大学彫刻科を中退した後、1979年現代美術ベイシックゼミナール(Bゼミスクール)を修了。1986~1987年ACC(Asian Cultural Council)の奨学金で渡米したのをはじめ、1990年(平成2)にはアメリカ、テキサス州のトリニティ大学芸術学部で特別招聘講師を務め、1994年にはメルセデス・ベンツ社のスカラシップにより渡仏、1999年にはカナダのバンフ芸術センターに招聘されるなど豊富な海外留学経験をもつ。
初個展は1981年(昭和56)、村松画廊(東京都中央区、2009年閉廊)で開催された「たてもののきもち――building through construction」で、以後南天子画廊(東京都中央区)、ヒルサイドギャラリー(東京都渋谷区、現、アートフロントギャラリー)、ゆーじん画廊(東京都渋谷区、2009年閉廊)などで個展を開く。1982年にパリ青年ビエンナーレに参加したのをはじめ、ほぼ毎年、国内外のグループ展にも参加している。
8ミリ映画『回想のヴィトゲンシュタイン』(1988)やコンピュータ・アートワーク『Random Accident Memory』(1993。ドキュメント・フィルムや写真、テキストをコンピュータに入れ、観客が自由に各断片を選択しストーリーを組み立てていく体験型作品)の制作など、1980年代初頭に頭角を現して以来、狭い枠にとらわれない幅広い活動を展開している。だが中心はやはり美術にあり、なかでもアクリル絵の具の色斑(いろむら)を画面の中にランダムに配置した抽象絵画と木、石膏、粘土、セラミック、ブロンズといった素材を駆使した豊かなボリュームの彫刻の連作は、長年にわたって岡崎の制作活動の中心を占めてきた。そのほか、1980年代に制作された『あかさかみつけ』と題された切り紙細工のようなレリーフ・コンストラクション作品も、ドナルド・ジャッドやアンソニー・カロからの影響を独自に消化した作品として知られている。
アート・プロデュースや批評執筆に多くの労力が割かれているのも、岡崎の作家活動における際立った特徴である。前者の活動としては1994年(平成6)から着手された広島県総領(そうりょう)町(現、庄原(しょうばら)市)での「灰塚(はいづか)アースワーク・プロジェクト」や「アトピックサイト」展(東京ビッグサイト、1996)へのキュレーター参加、ベネチア・ビエンナーレ「建築展」(2002)へのディレクター参加などがある。後者の活動としては雑誌『FRAME』『批評空間』での執筆活動や『ルネサンス 経験の条件』(2001)、『芸術の設計――見る/作ることのアプリケーション』(2007)の出版などが挙げられる。とりわけ『ルネサンス 経験の条件』は、ルネサンス期の建築家ブルネレスキと画家マサッチョの作品分析を起点に、透視図法の起源とメカニズムを解析すると同時に、印象派以降の美術史やアメリカン・フォーマリズム(形式主義)といった言説に内包されている理論的矛盾を暴(あば)こうとする緻密にして意欲的な試みであり、岡崎がきわめて優れた理論家であることを証明するものであった。このように、岡崎の活動は実践と理論とが分ちがたく結びついており、どちらか一方に偏(かたよ)ってしまっても適切に理解できない性質をもっている。
2002年に長野県軽井沢町のセゾン現代美術館で開催された大規模な個展は、今までの活動の集大成であると同時に、岡崎のそのような困難な立場をあらためて浮き彫りにするものであった。同年には松浦寿夫と共著『絵画の準備を!』を出版している。近年は近畿大学国際人文科学研究所教授、同副所長や武蔵野美術大学客員教授として、教育にも力を入れている。夫人はガートルード・スタインの絵本の翻訳などで知られる詩人のパクキョンミ(1956― )。
[暮沢剛巳]
『『ルネサンス 経験の条件』(2001・筑摩書房)』▽『岡崎乾二郎・松浦寿夫著『絵画の準備を!』(2005・朝日出版社)』