松浦寿夫(読み)まつうらひさお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松浦寿夫」の意味・わかりやすい解説

松浦寿夫
まつうらひさお
(1954― )

画家、美術評論家。東京都生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業後、東京大学大学院人文科学研究科に進み、1988年(昭和63)同博士課程修了。85年から88年までパリ第一大学に留学。88年より東京外国語大学に助手として勤務、その後助教授を経て2002年(平成14)より同教授。高校時代からシュルレアリスム詩などの文学に親しみ、同時に、絵画制作にも興味をもっていた。大学在学中は美術サークルに属して絵画を描いていた。

 画家としては、81年の個展(画廊パレルゴン、東京)で作品発表を開始。グループ展では、「迂回のパッサージュ」展(1984、淡路町画廊、東京)、「第5回ハラ・アニュアル」展(1985、原美術館、東京)に出品し、同世代の美術家と交流していく。

 批評など理論活動としては、83年『美術手帖』誌の第9回芸術評論賞公募で、論文「絵画のポリティーク」が第一席に入選する。1970年代なかばに論議された近代主義絵画の可能性と限界性を踏まえて、絵画表現における理論次元と実践次元との差異に注目し、その力学がせめぎあう葛藤の場を浮き彫りにした。それまで海外の美術関係論文の翻訳などに携わっていたが、これによって批評活動を開始する。

 85年からのパリ留学の当初の目的はイタリア未来派(未来主義)の研究であった。留学中は、フランス内外でのいくつかの日本前衛美術の回顧展で、翻訳・研究に協力した。86年に「イコノ・ゲネシス」展(山梨県立美術館)、87年に「ラ・ジューヌ・パンテュール」展、「ラ・レアリテ・ヌーベル」展(いずれもグラン・パレ、パリ)に参加。

 帰国後、95年に個展「筆触と視像」(ギャラリーαM、東京)、グループ展「視ることのアレゴリー」(セゾン美術館、東京)などで作家活動を再開し、2003年に個展「さまざまな眼129 松浦寿夫」(かわさきIBMギャラリー、神奈川県)を開催。

 松浦の批評活動には、ポール・セザンヌ起点として、キュビスムを経て抽象画へといたる近代主義的な絵画史の言説を検証する企図がある。ある特定の感覚に対応する一つの筆触=色彩をカンバスに定着させ、その連続と対比によって、多層化されたいくつもの平面を暗示していったのが、セザンヌであった。絵画でしか表現しえないその「感覚の論理学」を追求するのが、評論家として、画家として松浦の課題である。理論の構築と絵画制作との往還運動によって、両方にまたがる「実践」が保証される。その点で、松浦にとって批評活動と絵画表現の実践は並行して行われ、互いに検証し合う関係にある。

 共著に『モデルニテ3×3』(1998)、『絵画の準備を!』(2002)、共編著に『モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(1995)、共訳書にティエリー・ド・デューブの『芸術の名において』Au Nom de l'Art; Pour une Archéologie de la Modernité(2001)がある。

[高島直之]

『小林康夫・松浦寿輝・松浦寿夫著『モデルニテ3×3』(1998・思潮社)』『松浦寿夫・岡崎乾二郎著『絵画の準備を!』(2002・セゾンアートプログラム)』『浅田彰・岡崎乾二郎・松浦寿夫編『モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(『批評空間』臨時増刊号・1995・太田出版)』『ティエリー・ド・デューヴ著、松浦寿夫・松岡新一郎訳『芸術の名において――デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント』(2002・青土社)』

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