岡崎哲夫(読み)オカザキ テツオ

20世紀日本人名事典 「岡崎哲夫」の解説

岡崎 哲夫
オカザキ テツオ

昭和期の市民運動家 森永ミルク中毒のこどもを守る会全国本部事務局長。



生年
大正9(1920)年1月18日

没年
平成12(2000)年12月

出生地
岡山県岡山市

学歴〔年〕
早稲田大学〔昭和16年〕中退

経歴
昭和16年軍事教練を拒否して早大を中退。応召され20年懲罰的に旧ソ連国境の虎頭要塞に配属された。部隊は全滅したが生き残って旧ソ連に抑留され民主分子として日本新聞で活動したが、スターリン主義反発、追放され23年帰国して商業に従事。30年に生まれた長女が森永砒素(ヒ素)ミルク中毒となり、被災者同盟全国協議会の初代委員長として闘争運動に尽力。31年森永乳業との決着後、協議会を解散したが、岡山県内の被害者の親たちと“森永ミルク中毒のこどもを守る会”を結成。事務局長として被害者救済運動の先頭に立ち、後遺症対策を求めて事件関係者らに文書を送るなど孤立無援の運動を続けた。44年丸山博大阪大学教授が発表した被災児の追跡調査報告に力づけられ、47年国と森永を相手どり民事訴訟を起こすと同時に、森永製品不買運動を提起した。その後、運動の全国的な盛り上がりもあり、48年森永、当時の厚生省との三者合意で被害者の恒久救済が決まり、49年5月救済のための財団法人ひかり協会発足理事一人として、訴訟を取り下げ、不買運動を中止した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡崎哲夫」の解説

岡崎哲夫 おかざき-てつお

1920-2000 昭和時代後期の市民運動家。
大正9年1月18日生まれ。昭和30年に発生した森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者の父親として,被災者同盟の委員長となる。31年森永乳業との妥協後,岡山県の被害者を中心に森永ミルク中毒の子供を守る会を結成し,事務局長。49年国と森永に被害者救済のための財団法人ひかり協会を発足させた。平成12年12月15日死去。80歳。岡山県出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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