岡崎新田村(読み)おかざきしんでんむら

日本歴史地名大系 「岡崎新田村」の解説

岡崎新田村
おかざきしんでんむら

[現在地名]東村岡崎

東は群馬郡祖母島うばしま(現渋川市)・同郡湯中子ゆなかご(現北群馬郡伊香保町)などと沼尾ぬまお川で境し、吾妻川南岸から西南に細長く延びる村。古くは箱島はこじま村・五町田ごちようだ村とともに南箱島と称し、分村後は新定利にいじようり村と称したという。

万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写によると幕府代官岡上(岡登)次郎兵衛景能支配で高二三二石。寛文郷帳でも幕府領で同高(すべて畑方)。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領で家数八七。当村はもと白井藩領であったといわれ、白井藩本多氏廃絶後幕府領となったと考えられる。当村に陣屋を設けた代官岡上甚右衛門景親は、当時新定利村と称した当村を岡崎と改めたという。榛名はるな山の火山灰の堆積地にあり、水利の便も悪く湧水がないため飲料水にも事欠いていた。岡上氏は榛名湖の尾流を用水に取入れる計画をたて、父子三代にわたって工事を継続して寛文年中(一六六一―七三)には完成し、同時に岡崎の名を岡崎新田村と改めたという。


岡崎新田村
おかざきしんでんむら

[現在地名]新井市岡崎新田

青田南葉あおたなんば山の東山麓、矢代やしろ川の西岸に位置し、飛田ひだ新田・十日市とおかいち村に接する。天和三年郷帳に岡崎村として高三八石八斗余と記される。元禄郷帳には十日市村枝郷と注記される。元禄三年(一六九〇)開発七石九斗余、正徳二年(一七一二)開発一石一斗余、享保二年(一七一七)開発八斗余、同四年開発四斗余、同一七年開発一石六斗余が、文化五年(一八〇八)に村高に繰入れられている(新井市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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