根古屋城跡(読み)ねごやじようあと

日本歴史地名大系 「根古屋城跡」の解説

根古屋城跡
ねごやじようあと

[現在地名]横瀬町横瀬 根古屋

横瀬川と支流うぶ川の合流点付近、二子ふたご(八八二メートル)から西へ延びる稜線の北側、同稜線から分岐した尾根の先端に位置する。両河川や小渓谷に囲まれた山城で、まえ山ともしろ山ともよばれる。同じ稜線の南側先端には古御嶽こみたけ城跡がある。本郭の標高三七三メートル、最も低い郭は二四〇メートルで、山麓との比高は約二〇メートルである。本郭は石灰石の採掘により破壊され一部のみが残る。本郭より北に延びる尾根には、土塁をもって二五×八五メートルの二の郭が設けられている。


根古屋城跡
ねごやじようあと

[現在地名]市原市平蔵

根古屋にある中世の城跡。応永二五年(一四一八)四月榛谷氏は関東の国人の残党を糾合し、犬懸上杉氏の守護地市原郡平三城に立籠り、鎌倉公方に対抗するいわゆる上総一揆を起こした。鎌倉軍は小田喜おたき(現大多喜町)方面より杣道を経て米原の大通よねはらのだいつう寺に出陣、さらに上畑かんばたに進み、五月二八日に同城を攻略、榛谷氏は九十九里方面に逃走したという。翌二六年二月一揆勢は再び坂本さかもと(現長南町か)を根拠に蜂起している。


根古屋城跡
ねごやじようあと

[現在地名]所沢市勝楽寺 根古屋

狭山湖(山口貯水池)の北岸、狭山丘陵の主脈から南側に張出す半島状の鞍部にある。南側には大きく開けた開析谷を望み、東西二方は鋭い浸食谷となっている。急峻な丘陵地を利用した山城で、現在は山口やまぐち貯水池同様東京都水道局の管理地となっているためほぼ完全な姿をとどめる。県指定史跡。城域は東西二二〇メートル・南北二二〇メートル。城郭の中心部は南北に連なる二つの方形の郭から構成されている。北側には馬出、東側に三の郭、西側に櫓台・縦堀などの施設が認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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