岡松参太郎(読み)おかまつさんたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡松参太郎」の意味・わかりやすい解説

岡松参太郎
おかまつさんたろう
(1872―1922)

民法学者。熊本県生まれ。1894年(明治27)東京帝国大学法科大学英法科を卒業、同大学助教授となる。96年ドイツ、フランス、イタリア留学、99年に帰国し、同年から京都帝国大学教授となり、1913年(大正2)退官。イギリス法出身ではあるが、ドイツ法学の影響を強く受け、ドイツ流の精緻(せいち)な解釈法学を発展させた。16年に著した『無過失損害賠償責任論』は、過失責任を民事責任の原則としてその合理性を認めつつ限界を確認し、例外的に無過失責任(結果責任)を承認すべき理論上および実際上の必要と根拠とを明らかにした、この領域における優れた古典的文献である。また、留学直前に完成した『註釈(ちゅうしゃく)民法理由』3巻は、諸外国の立法例、学説を引用し、民法典各条項の立法理由を逐条的に説明し、校閲者富井政章(まさあきら)をして、「其(そ)の学力の優秀なると其の研究の至れるを証するに足るべし」といわしめた名著である。これらの著書論文を通じて、日本の民法に本格的な研究方法を導入するとともに比較法学的研究への道を開いた。そのほか『法律行為論』(1914)がある。

淡路剛久

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関連語 学位 学歴

20世紀日本人名事典 「岡松参太郎」の解説

岡松 参太郎
オカマツ サンタロウ

明治・大正期の法学者 京都帝国大学教授。



生年
明治4年8月(1871年)

没年
大正10(1921)年12月15日

出生地
熊本県

学歴〔年〕
東京帝国大学英法科〔明治27年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治34年〕

経歴
明治27年東京帝大助教授となり、29年ドイツ、フランス、イタリアに留学。32年帰国して京都帝大教授となり、40年満鉄理事を兼ねた。41年帝国学士院会員、大正2年退官。6年拓殖調査会委員。ドイツ流の精緻な法解釈を日本に持ち込んだ民法学の草分け的存在。著書に「法律行為論」「無過失損害賠償責任論」「註釈民法理由」(全3巻)「刑法改正案批評」「刑法の私法観」など。平成11年台湾統治の原資料を含む書籍や関係文書など数千点が早稲田大学に寄贈される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡松参太郎」の解説

岡松参太郎 おかまつ-さんたろう

1871-1921 明治-大正時代の法学者。
明治4年9月9日生まれ。岡松甕谷(おうこく)の3男。母校帝国大学の助教授となり,明治29年ヨーロッパに留学して民法,国際私法をまなぶ。32年京都帝大教授に就任,満鉄の理事をかねた。日本で最初の民法の本格的注釈書「註釈民法理由」をあらわした。大正10年12月15日死去。51歳。熊本県出身。著作はほかに「法律行為論」など。

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367日誕生日大事典 「岡松参太郎」の解説

岡松 参太郎 (おかまつ さんたろう)

生年月日:1871年9月9日
明治時代;大正時代の法学者。京都帝国大学教授
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岡松参太郎の言及

【法社会学】より

…ここには,エールリヒのほかに,ウェーバーやK.マルクスの影響もみられる。異質な社会の研究は,岡松参太郎の台湾・満州の慣行調査,梅謙次郎の朝鮮の慣行調査にみられるが,いずれも植民地統治と結びつくものであった。 第2次大戦後日本の法社会学は,まず農山漁村と家族の実態調査と歴史的研究に取り組んだ。…

※「岡松参太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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