岩城宏之(読み)イワキ ヒロユキ*

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「岩城宏之」の解説

岩城 宏之
イワキ ヒロユキ*


職業
指揮者 エッセイスト

肩書
オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督,NHK交響楽団終身正指揮者,メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者 日本芸術院会員〔平成15年〕

生年月日
昭和7年 9月6日

出生地
東京市 小石川区丸山町(東京都文京区)

学歴
東京芸術大学音楽学部器楽科〔昭和31年〕中退

経歴
東京芸術大学器楽科打楽器専攻に進むが、指揮者を志して同級の作曲家・山本直純とともに渡辺暁雄に師事。在学中よりN響の研究員となり、昭和29年副指揮者。31年N響特別演奏会でチャイコフスキー悲愴」を指揮してデビュー。35年27歳でN響の世界一周旅行に同行、35回公演のうち33回を振り、ダイナミックな表現で注目を集めた。38年正指揮者(44年終身正指揮者)。43年オランダ王立ハーグ・フィルの常任指揮者、49年メルボルン交響楽団の首席指揮者(62年終身桂冠指揮者)に就任。52年には急病で倒れたベルナルト・ハイティンクの代役として、日本人で初めてウィーン・フィルの定期公演を指揮した。その後もベルリン・フィルなど世界のトップオーケストラ客演し、同時期に海外で脚光を浴びた小沢征爾とともに、“海外で認められた、新世代の日本人クラシック指揮者”として並び称される。国内では50年札幌交響楽団正指揮者、53年同音楽監督。63年には少年時代に疎開した縁がある金沢で日本初の本格的室内管弦楽団オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)創設に参画、音楽監督を務めた。公演プログラムでは積極的に現代音楽作品を取り上げることで知られ、特に林光、武満徹黛敏郎、松村禎三ら日本人の現代作曲家を後押ししてその初演に意欲を見せた。その意気ごみは“初演魔”と呼ばれるほどで、生涯の初演曲数は2000曲ともいわれる。OEKでは設立から日本の専属作曲家による現代曲委嘱初演制度(コンポーザー・イン・レジデンス)を取り入れ、我が国現代音楽の振興にも大きな足跡を残した。62年首の靱帯に出来た骨が神経を圧迫する頸椎後縦靱帯骨化症のため首の骨を切断した他、平成元年胃がん、13年咽頭がん、17年肺がんと、20回以上にわたる手術歴を持ち病に悩まされたが、音楽に対する情熱を燃やし続け、16年、17年の大晦日にはベートーベンの交響曲全9曲を一気に演奏するマラソンコンサートを実施、10時間の長丁場を一人で振り続けた。18年5月東京混声合唱団50周年記念コンサートの指揮を最後に体調を崩し、6月亡くなった。8年紫綬褒章、14年日本芸術院賞恩賜賞。15年芸術院会員。軽妙なエッセイをものする名文家として著書も多く、3年「フィルハーモニーの風景」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。昭和50年には“違いの分かる男”のフレーズで有名なネスカフェ・ゴールドブレンドのCMキャラクターとなるなど、テレビやラジオにも出演した。他の著書に「棒ふりの控室」「棒ふり旅がらす」「棒ふりのカフェテラス」「楽譜の風景」「森のうた」「指揮のおけいこ」「回転扉の向う側」などがある。妻はピアニスト木村かをり

所属団体
日本DDR文化協会,合唱音楽振興会

受賞
日本芸術院賞恩賜賞(第58回 平13年度)〔平成14年〕 メンバー・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーストラリア勲章(オーストラリア)〔昭和60年〕,紫綬褒章〔平成8年〕 中島健蔵音楽賞(第5回)〔昭和62年〕,サントリー音楽賞(第19回)〔昭和63年〕,日本エッセイスト・クラブ賞(第39回)〔平成3年〕「フィルハーモニーの風景」,NHK放送文化賞(第45回)〔平成5年〕,有馬賞(第20回)〔平成12年〕,朝日賞(平17年度)〔平成18年〕

没年月日
平成18年 6月13日 (2006年)

家族
妻=木村 かをり(ピアニスト),父=岩城 与一(大蔵省専売局理事人)

伝記
青春のNHK音楽部「マエストロ、時間です」―サントリーホールステージマネージャー物語九段坂から―棒ふりはかなりキケンな商売森のうた棒ふりプレイバック’84 花輪 一郎 著宮崎 隆男 著岩城 宏之 著岩城 宏之 著岩城 宏之 著(発行元 文芸社ヤマハミュージックメディア朝日新聞社朝日新聞社朝日新聞社 ’09’01’94’90’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩城宏之」の意味・わかりやすい解説

岩城宏之
いわきひろゆき
(1932―2006)

指揮者。東京生まれ。東京芸術大学音楽学部打楽器科を中退、1956年(昭和31)にNHK交響楽団指揮研究員となり、渡辺暁雄(あけお)、斎藤秀雄に指揮を師事。同年、N響特別演奏会でチャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴(ひそう)』を指揮してデビュー。60年のN響世界一周演奏旅行に参加、以後国内はもとより、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、バンベルク交響楽団をはじめ欧米諸都市のオーケストラの客演指揮を務めた。現代曲とりわけ日本人作曲家の初演作品の指揮および録音を多く手がけ、その普及に貢献した。

 1988年(昭和63)より日本最初の職業室内オーケストラであるオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督を務めた。同オーケストラのために作品を委嘱して定期公演で取り上げるほか、「21世紀へのメッセージ」としてCD録音し、室内オーケストラのレパートリーの開拓にも貢献した。東京混声合唱団音楽監督、メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者、札幌交響楽団終身桂冠指揮者、N響終身正指揮者を兼任。オーストラリア大勲章(1985)、サントリー音楽賞(1988)、フランス芸術文化勲章(1990)、放送文化賞(1993)、紫綬(しじゅ)褒章(1996)、日本芸術院恩賜賞(2002)、朝日賞(2006)などを受けた。『楽譜の風景』(1983)など多数の著作があり、91年(平成3)には日本エッセイストクラブ賞を受賞。

[楢崎洋子]

『『岩城音楽教室――ワクをはずして、もっと楽しもう』(1977・光文社)』『『行動する作曲家たち――岩城宏之対談集』(1986・新潮社)』『『森のうた』(1990・朝日新聞社)』『『いじめの風景』(1996・朝日新聞社)』『『作曲家武満徹と人間黛敏郎』(1999・作陽学園出版部)』『『指揮のおけいこ』(1999・文芸春秋)』『『オーケストラの職人たち』(2002・文芸春秋)』『『音の影』(2004・文芸春秋)』『『九段坂から――棒ふりはかなりキケンな商売』(朝日文庫)』『『楽譜の風景』『フィルハーモニーの風景』(岩波新書)』『『岩城宏之のからむこらむ』『ハニホヘト音楽説法』(新潮文庫)』『『棒ふりの休日』『棒ふりの控室』『棒ふりのカフェテラス』(文春文庫)』『『回転扉のむこう側』(集英社文庫)』

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百科事典マイペディア 「岩城宏之」の意味・わかりやすい解説

岩城宏之【いわきひろゆき】

指揮者。東京都生れ。東京芸術大学打楽器科中退。1956年指揮者デビュー,1969年よりNHK交響楽団正指揮者を務める。札幌交響楽団正指揮者,オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督も務めた。1968年オランダの国立ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者,1974年オーストラリアのメルボルン交響楽団首席指揮者(1987年桂冠指揮者)。1977年には日本人で初めてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するなど,海外でも活躍した。打楽器奏者としても活動し,新作の初演,演奏会のプロデュースや著作を通じてクラシック音楽の普及に尽力した。著書に《フィルハーモニーの風景》(1991年日本エッセイスト・クラブ賞受賞)などがある。2001年度芸術院恩賜賞受賞,2003年芸術院会員。妻はピアノ奏者木村かをり。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩城宏之」の意味・わかりやすい解説

岩城宏之
いわきひろゆき

[生]1932.9.6. 東京,東京
[没]2006.6.13. 東京
指揮者,打楽器奏者。東京芸術大学器楽科在学中に NHK交響楽団の指揮研究員を経て副指揮者となり,1956年同交響楽団で指揮者デビュー,同団指揮者を経て 1969年終身正指揮者。そのほか名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督,札幌交響楽団音楽監督などを歴任。死去直前まで東京混声合唱団音楽監督,オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督,メルボルン交響楽団終身桂冠指揮者として,病をおして活動を続けた。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめヨーロッパ各地のオーケストラにも客演。エネルギッシュで情熱的な指揮表現で人気を集め,また「初演魔」と呼ばれるほど内外の現代音楽の紹介に力を入れ,日本の作曲界に大きな功績を残した。『フィルハーモニーの風景』などエッセーを中心に多数の著書がある。紫綬褒章受章,日本芸術院会員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩城宏之」の解説

岩城宏之 いわき-ひろゆき

1932-2006 昭和後期-平成時代の指揮者。
昭和7年9月6日生まれ。東京芸大打楽器科に籍をおくかたわら渡辺暁雄(あけお),斎藤秀雄に指揮をまなぶ。昭和31年NHK交響楽団を指揮してデビュー。44年N響終身正指揮者となる。現代音楽と積極的にとりくみ,また世界の名門オーケストラを指揮し,国際的に活躍。平成14年芸術院恩賜賞。15年芸術院会員。18年朝日賞。同年6月13日死去。73歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岩城宏之の言及

【NHK交響楽団】より

…51年現在の名称に改称。51‐54年K.ウェスが常任指揮者をつとめ,ついでN.エッシュバッハー,W.ロイブナー,W.シュヒターらが指揮をとり,69年からは岩城宏之があたっている。安定した堅実な演奏には定評があり,マタチッチやサワリッシュを名誉指揮者に迎え,いっそうその趣をつよくしている。…

※「岩城宏之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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