作曲家。東京生まれ。1948年(昭和23)に一時、清瀬保二(やすじ)(1900―1981)に師事した以外は独学で作曲を学ぶ。ピアノのための『二つのレント』(1950)を発表して以来、ドビュッシー、ウェーベルン、メシアンの影響を受けながら、さらにミュージック・コンクレートや不確定性など欧米の前衛音楽の手法を用いて、独自の美学に基づく作品を発表する。1951年湯浅譲二らと芸術グループ「実験工房」を結成。武満が担当した映画『切腹』(1962)、『怪談』(1964)の音楽は、琵琶(びわ)、尺八などの邦楽器を用いた現代邦楽の先駆的な作品であると同時に、邦楽器の音を電子変調するなどした前衛的な作品でもある。8弦楽器のための『ソン・カリグラフィー』(1959~1961)、『テクスチュアズ』(1964)、『地平線のドーリア』(1966)などは西洋の楽器を使ってトーン・クラスター(音塊・密集音群)の手法で書かれている。これらの作品を経て、琵琶(びわ)、尺八とオーケストラのための『ノヴェンバー・ステップス』(1967。ニューヨーク・フィルハーモニー委嘱作品)が書かれるに至る。武満の代表作として知られる『ノヴェンバー・ステップス』は、映画音楽で試みられた邦楽器の使用と前衛的なオーケストレーションとが一つに結晶した作品といえる。
1970年代以降は、それまでの前衛的な作風は緩和されて、調性感のあるメロディや和声がみられるようになる。たとえば『鳥は星形の庭に降りる』(1977)、『遠い呼び声の彼方(かなた)へ!』(1980)、『ア・ストリング・アラウンド・オータム』(1989)では、テーマも和声も調的になり、邦楽器は退いて、バイオリン、ビオラなどの通常のオーケストラの楽器が独奏楽器として使われるようになる。しかし、独奏楽器の個々の特性を反映させたオーケストレーションという点では、邦楽器を独奏楽器とする協奏曲と共通している。日本的な音感覚が前衛的な作曲技法で表現されている点に、武満作品の特徴がある。『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971)、『夢の引用』(1984)、『音楽を呼びさますもの』(1985)など、音についての思考を論じた著書も多数残している。1973年に始まる現代音楽祭「今日の音楽」の企画構成をはじめとするプロデュース活動も広く行った。1990年(平成2)国際モーリス・ラベル賞と毎日芸術賞を受賞。
[楢崎洋子]
『『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971・新潮社)』▽『『音楽の余白から』(1980・新潮社)』▽『『夢の引用』(1984・岩波書店)』▽『『音楽を呼びさますもの』(1985・新潮社)』▽『『武満徹対談集――すべての因襲から逃れるために』(1987・音楽之友社)』▽『『遠い呼び声の彼方へ』(1992・新潮社)』▽『『音・ことば・人間』(1992・岩波書店)』▽『『武満徹対談集――歌の翼、言葉の杖』(1993・ティビーエス・ブリタニカ)』▽『『時間(とき)の園丁』(1996・新潮社)』▽『『武満徹対談集――創造の周辺』(1997・芸術現代社)』▽『『サイレント・ガーデン――滞院報告・キャロラインの祭典』(1999・新潮社)』▽『『私たちの耳は聞こえているか』(2000・日本図書センター)』▽『『武満徹著作集』全5巻(2000・新潮社)』▽『石川淳、J・ケージ他著『音楽の手帖14 武満徹』(1981・青土社)』▽『楢崎洋子著『武満徹と三善晃の作曲様式――無調性と音群作法をめぐって』(1994・音楽之友社)』▽『遠山一行著『「辺境の音」――ストラヴィンスキーと武満徹』(1996・音楽之友社)』▽『斎藤慎爾・武満真樹編『武満徹の世界』(1997・集英社)』▽『船山隆著『武満徹――響きの海へ』(1998・音楽之友社)』▽『岩城宏之著『作曲家武満徹と人間黛敏郎』(1999・作陽学園出版部)』▽『小沼純一著『武満徹――音・ことば・イメージ』(1999・青土社)』▽『長木誠司・樋口隆一編『武満徹――音の河のゆくえ』(2000・平凡社)』▽『小林淳著『日本映画音楽の巨匠たち1 早坂文雄・佐藤勝・武満徹・古関裕而』(2001・ワイズ出版)』▽『辻井喬著『呼び声の彼方』(2001・思想社)』▽『谷川俊太郎著『風穴をあける』(2002・草思社)』▽『武満徹・小沢征爾著『音楽』(新潮文庫)』▽『武満徹・大江健三郎著『オペラをつくる』(岩波新書)』▽『蓮実重彦・武満徹著『シネマの快楽』(河出文庫)』▽『マリオ・アンブロシウス文・写真『カメラの前のモノローグ――埴谷雄高・猪熊弦一郎・武満徹』(集英社新書)』
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現代日本の代表的な作曲家。1948年に清瀬保二に短期間作曲を学び,早坂文雄や松平頼則などの音楽から影響を受けながら創作活動を開始した。1950年にピアノ曲《二つのレント》と評論《ポール・クレー論》を発表し,翌51年,滝口修造,湯浅譲二らと〈実験工房〉を結成。シュルレアリスムの芸術運動,ドビュッシー,シェーンベルク,ベルク,メシアンなどの音楽から強い刺激を受けながら,ピアノ曲や室内楽を作曲すると同時に,ミュジック・コンクレートの実験も始め,《ルリエフ・スタティク》(1955),《ボーカリズムA・I》(1956)を発表。《私の方法--ミュジック・コンクレートについて》という文章で,〈音の河〉という言葉で自分の作曲の方法論を語っているが,新しい時間と空間の広がりをもつ〈音の河〉は,それ以後の彼の作品を貫く主題になった。
1957年の《弦楽のためのレクイエム》がストラビンスキーに認められる。1959年に〈二十世紀音楽研究所〉の所員になり,ケージら欧米の前衛音楽の動向に注目しながら,室内楽,管弦楽曲の作曲を続け,また《砂の女》(1964)をはじめとする数多くの映画音楽も作曲した。67年ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の依嘱で作曲した《ノベンバー・ステップス》は,琵琶と尺八と管弦楽のための作品で,欧米と日本の音楽界に大きな衝撃を与えた。この作品の特質は,邦楽器とオーケストラを組み合わせた点ばかりでなく,音楽史上まったく別の道を歩んでいた琵琶と尺八の出会いを演出し,日本の伝統楽器の新しい可能性を開拓した点にある。
1970年代に入ってからの創作は,欧米各国のオーケストラのための管弦楽曲が中心となる。《鳥は星形の庭へ降りる》(1977),《遠い呼び声のかなたへ》(1980),《夢の時》(1981),《ア・ウェー・ア・ローンⅡ》(1982)などがその代表作であるが,これらの作品を作曲するにあたって,文学,絵画,映画,庭園など他の芸術領域に発想を求め,特にタイトルとなる〈言葉〉と深くかかわりながら作曲の筆を進めている。70年代から80年代初めにかけての音楽様式は,独特な旋律や新しい調性の技法によって書かれ,繊細な音感覚を生かした成熟したスタイルになっている。
1970年代に入ってからはパリ,ロンドンなどで〈武満徹フェスティバル〉が開催された。一方,1970年に万国博鉄鋼館の音楽監督を務め,その体験を生かして73年に現代音楽祭〈今日の音楽Music Today〉の企画・監修の仕事を開始し,内外の新しい音楽を紹介,若い世代の作曲家・演奏家に影響を与えた。また《音,沈黙と測りあえるほどに》(1971),《樹の鏡,草原の鏡》(1975),《音・ことば・人間》(1980),《夢の引用》(1984)などの著作は,日本の現代音楽と文化全体に対する鋭い問題提起の書となっている。
執筆者:船山 隆
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昭和・平成期の作曲家
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
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…交遊をつづけていた,当時まだ20代前半の音楽家,美術家,技術者たちがグループを組織することを相談,詩人,美術批評家の滝口修造の命名で1951年11月に結成された。メンバーは作曲の武満徹,鈴木博義,湯浅譲二(のち一時,佐藤慶次郎と福島和夫が参加),ピアノの園田高弘,詩・評論の秋山邦晴,美術の北代省三,福島秀子,山口勝弘,駒井哲郎,写真の大辻清司,照明の今井直次,技術の山崎英夫。読売新聞社主催〈ピカソ展〉の前夜祭のためにバレエを委嘱され,台本,作曲,舞台装置,衣装,照明など,すべてを全員で制作。…
…武満徹による琵琶と尺八とオーケストラのための作品。1967年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の創立125周年のための委嘱作品として作曲され,同年11月9日,鶴田錦史の琵琶,横山勝也の尺八,小沢征爾指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。…
…日本の琵琶は現代音楽の中にも積極的にとり入れられ,とくに筑前琵琶と薩摩琵琶のための独奏曲・合奏曲が多数作曲されている。なかでも鶴田錦史と作曲家武満徹の組合せからは,世界的に好評を博した作品《ノベンバー・ステップス》《エクリプス》などが生まれた。【山口 修】。…
…しかしながら,このような新しい音楽の領域の出現は時代の要請でもあり,五月革命の起こった68年以来,シェフェールはパリ音楽院で教授としてミュジック・コンクレートの講座を担当している。 日本ではシェフェールの動きとは無関係に武満徹が同様の音楽を発想していたが,パリ留学で実際にミュジック・コンクレートに触れた黛敏郎(1929‐97)の帰国後,本格的な作品が作曲されるようになった。日本における初期のミュジック・コンクレートとしては,黛敏郎の《XYZ》(1953),柴田南雄(1916‐96)の《立体放送のためのミュジック・コンクレート》(1955),武満徹の《ルリエフ・スタティク》(1955)などがある。…
※「武満徹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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