岩崎城跡(読み)いわさきじようあと

日本歴史地名大系 「岩崎城跡」の解説

岩崎城跡
いわさきじようあと

[現在地名]和賀町岩崎 宿

和賀川に合流する夏油げとう川河口の左岸台地にあり、平山城だが眼下に夏油川、はるかに和賀平野を遠望できる。和賀氏の居城。鎌倉後期の和賀氏系図(鬼柳文書)に景行(行仏)が「梅木郷」ほかを譲られている。梅木うめき郷は現在の岩崎一帯を含む地と考えられている。暦応四年(一三四一)二月に南朝方の軍勢が岩崎館を攻撃、鬼柳義綱の弟清義・被官二人が討死している(貞和四年一一月日「鬼柳義綱陳状写」鬼柳文書)。この岩崎館は当城とみられる。天正九年(一五八一)一月の和賀氏分限録(小田島家記録写)に、「二百石 岩崎治部」「百石 岩崎夜叉丸」がみえる。岩崎氏は和賀氏庶流で、当城に拠り岩崎一帯を領していたとみられる。


岩崎城跡
いわさきじようあと

[現在地名]日進町岩崎 市場

標高六七メートルのしろ(お天守山)の上に築かれた東西八五間・南北一〇〇間の平山城の跡(府志)。愛知郡岩崎村古城絵図(蓬左文庫蔵)および「愛知県史蹟名勝天然紀念物調査報告」によれば、本丸を中心に東の二の丸、西の腰曲輪を土居空堀(七、八間幅)で囲み、北の高地に物見台、外郭に侍屋敷、本丸の東南に門跡があり、南方には大手先おおてさき地名も残っている。現在は樹林に覆われているが、土居や空堀の跡などがみられ、五ヵ所の井戸跡も確認される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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