島うた(読み)しまうた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島うた」の意味・わかりやすい解説

島うた
しまうた

一般に沖縄および南西諸島全域(琉球弧)の島々のさまざまな「うた」を漠然と指す。だが本来「しまうた」は、奄美地方の「しま=集落」のうたを指すものだった。沖縄本島の音楽関係者が1972年(昭和47)の本土復帰前後に、この言葉を「島のうた」という意味で転用し、沖縄の歌を広めようとしたことで、漠然とした用法が始まったとされている。ここで指示される「島のうた」には、民謡、宮廷伝統音楽、新民謡とそれに根ざした新しい歌謡までが含められる。またそのなかでも地域性、武士農民などの階級性などによる差異があると同時に、それぞれが相互浸透も起こしているため、非常に複雑なものとなっている。

 いくつもの島を抱える南西諸島全域の伝統的な歌謡形態について、島うた研究者仲宗根(なかそね)幸市(1941― )は以下のような区分を採用している。種子島(たねがしま)、屋久島などを含む大隅諸島・吐噶喇(とから)列島のうたを「小唄調文化圏」、それに奄美諸島を加え「日本民謡旋法文化圏(日本民謡音階)」、同時にそのなかで奄美諸島を「裏声音楽文化圏」、沖縄諸島を「濃密な琉歌文化圏」、先島諸島(宮古列島八重山列島)を「沖縄音階・律音階併存文化圏」「琉歌形の希薄な文化圏(クェーナ(沖縄芸能の一種で、神への祈祷歌)形式歌謡)」とする。沖縄・先島諸島は「琉球旋法文化圏」でもある。また、大隅諸島・吐噶喇(とから)列島までを「ヤマト文化圏」、それ以南を「琉球文化圏」と分けることができるともいう。

 こうした南西諸島内の差異だけではなく、新民謡や「島うた」といわれる新しい沖縄民謡や民謡風歌謡曲の直接のルーツは、大阪への移住者によって1920年代につくられ録音されたものが多いことも重要だ。沖縄の独立系レーベル、マルフク・レコードは、沖縄・越来村(ごえくそん)(現沖縄市)で生まれた普久原朝喜(ふくはらちょうき)(1903―82)が出稼ぎに来た大阪で1927年(昭和2)(25年説もある)、太平丸福レコードとして創業した。同レーベルは、日常生活やモーアシビ(毛遊び、一種の宴会のようなもの)で歌われ踊られていた「うた」を発表し、沖縄民謡や民謡風歌謡曲が広まっていく契機をつくった。その後、70~80年代のロックなどと融合した「ウチナー・ポップ」などを経て、本土も含めて多くの人々に「島うた」としての沖縄音楽は親しまれてきた。

 2002年(平成14)には歌手宮沢和史(かずふみ)(1966― )率いるグループ、ザ・ブームにより1993年に発表された「島唄」がリバイバル・ヒットした。同曲はアルゼンチンにまで飛び火し、サッカー・ワールドカップでの同国の応援歌となった。また、同年には奄美民謡をポップスに活かした元(はじめ)ちとせ(1979― )の歌が大ヒットした。こうしたこともあり、「島うた」の語は一般的なレベルでも広く親しまれるようになった。

 また、ハワイ、アイルランドなどの世界各地の「島の音楽」が「アイランド・ミュージック」と総称されることもある。これはミュージシャンや批評家によって音楽文化的なコンセプトで語られると同時に、音楽市場でもプレゼンテーション/カテゴライズの用語として使用されている。これらは一過的なブームというよりも、ワールド・ミュージックのプリミティブ志向が分化したものであると同時に、ヒーリングや自然回帰の志向とも連動している。

[東 琢磨]

『仲宗根幸市著『「しまうた」流れ 琉球弧の民謡入門』(1995・ボーダーインク)』『「特集 島うた」(『ユリイカ』2002年8月号・青土社)』

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