日本大百科全書(ニッポニカ) 「崔白」の意味・わかりやすい解説
崔白
さいはく
生没年不詳。中国、北宋(ほくそう)の画家。北宋の花鳥画は神宗朝に最高潮に達したが、艾宣(がいせん)とともにその神宗画院の花鳥画を代表する。濠梁(ごうりょう)(安徽(あんき)省鳳陽(ほうよう)県北東)の出身。字(あざな)は子西。煕寧(きねい)の初め(1070ころ)神宗が画院学芸にしようとしたが辞退したという。しかし画院関係の画作に従事し、紫宸殿屏(ししんでんへい)に竹を描くなど官衙(かんが)宮殿の壁屏の大画面制作を行っている。鬼神、布袋(ほてい)、羅漢(らかん)など道釈画をよくしたが、また花鳥、竹を得意とし、とくに雁(がん)など水鳥に優れていた。画院の花鳥画は装飾的な黄氏体(こうしたい)を継承していたが、崔白は徐氏体といわれる没骨(もっこつ)風の描写で汀花(ていか)、野竹、水魚などを描いて、画院の画風に変化をもたらしたらしい。『仏日庵(あん)公物目録』によれば、鎌倉時代に日本にも崔白画が伝来しているが、現在彼の真筆は知られず、わずかに『雙喜図』『竹鴎図』(台北・故宮博物院)がその作風をうかがわせている。
[星山晋也]