嵐吉三郎(読み)あらしきちさぶろう

精選版 日本国語大辞典 「嵐吉三郎」の意味・読み・例文・類語

あらし‐きちさぶろう【嵐吉三郎】

  1. 歌舞伎俳優。二世。初世三男。屋号岡島屋。俳名璃寛(りかん)。立役で、義太夫物、力士物を得意とした。大璃寛。明和六~文政四年(一七六九‐一八二一

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「嵐吉三郎」の解説

嵐 吉三郎(7代目)
アラシ キチサブロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
北上 弥之助

生年月日
明治27年 12月1日

出生地
東京

経歴
明治41年10月明治座で初舞台。43年11代目片岡仁左衛門の弟子となり、片岡当之助の名で大阪で修業。大正6年10月東京歌舞伎座で名題昇進。昭和3年2月大阪中座で7代目嵐吉三郎襲名。28年大幹部となった。33年大阪府民劇場奨励賞、45年勲五等旭日章を受章。戦後は脇役となり「曽根崎心中」の九平次を500回上演記念まで続けた。48年1月大阪歌舞伎座で「義経千本桜」の川連法眼を演じたのが最後となった。

受賞
勲五等旭日章〔昭和45年〕 大阪府民劇場奨励賞〔昭和33年〕

没年月日
昭和48年 2月11日 (1973年)

家族
長男=北上 弥太郎(俳優・8代目嵐吉三郎)


嵐 吉三郎(6代目)
アラシ キチサブロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
福田 彦太郎

別名
初名=中村 雀三郎

生年月日
明治8年 8月22日

出身地
京都府 京都市祗園末吉町

経歴
2代目中村雀右衛門の門人、中村雀三郎と名乗り、16年「粋菩提」で子役をつとめた。35年6月京都南座で6代目嵐吉三郎を襲名。関西歌舞伎に大きく貢献。立役と女役を兼ね、新歌舞伎にもつとめた。

没年月日
昭和2年 10月4日 (1927年)


嵐 吉三郎(5代目)
アラシ キチサブロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
松田 太三郎

別名
初名=中村 芝三郎,前名=中村 芝蔵,松田 太三郎

生年月日
天保15年

経歴
2代目中村雀右衛門の門人3代目中村芝蔵と名乗り、明治13年「けいせい入相桜」で鳥羽平など4役をつとめた。17年5代目嵐吉三郎を襲名。28年名古屋巡業に出たのち京都南座につとめるが、名が出ないうちに没した。

没年月日
明治31年 10月9日 (1898年)

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改訂新版 世界大百科事典 「嵐吉三郎」の意味・わかりやすい解説

嵐吉三郎 (あらしきちさぶろう)

歌舞伎俳優。1973年に没した7世まである。(1)初世(1737-80・元文2-安永9) 俳名里環。初名竹田吉三郎。大坂竹田芝居の出身。嵐勘三郎に入門,1758年(宝暦8)嵐姓となる。この年の顔見世から座本もつとめた。76年(安永5)には座頭(ざがしら)となり,京坂の芝居で立役の名人として活躍した。実事・和事・老け役を兼ね,《薄雪物語》の奴妻平など,奴や男達(おとこだて)を得意とした。(2)2世 初世嵐璃寛の前名。(3)3世(1810-64・文化7-元治1) 2世の兄嵐猪三郎の子で,大三郎,橘三郎を経て,1821年(文政4)に吉三郎を襲名。江戸にも下り,名声をあげ,京坂劇壇の重鎮となった。立役の名手で,《寺子屋》の松王丸などが当り役
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「嵐吉三郎」の解説

嵐 吉三郎(7代目)
アラシ キチサブロウ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治27(1894)年12月1日

没年
昭和48(1973)年2月11日

出生地
東京

本名
北上 弥之助

主な受賞名〔年〕
大阪府民劇場奨励賞〔昭和33年〕,勲五等旭日章〔昭和45年〕

経歴
明治41年10月明治座で初舞台。43年11代目片岡仁左衛門の弟子となり、片岡当之助の名で大阪で修業。大正6年10月東京歌舞伎座で名題に昇進。昭和3年2月大阪中座で7代目嵐吉三郎を襲名。28年大幹部となった。33年大阪府民劇場奨励賞、45年勲五等旭日章を受章。戦後は脇役となり「曽根崎心中」の九平次を500回上演記念まで続けた。48年1月大阪歌舞伎座で「義経千本桜」の川連法眼を演じたのが最後となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「嵐吉三郎」の解説

嵐吉三郎(初代)

没年:安永9.12.8(1781.1.2)
生年:元文2(1737)
江戸中期,上方の歌舞伎役者,座本。屋号岡島屋。俳名里環。2代目嵐勘四郎の門弟。宝暦1(1751)年には竹田吉三郎の名で大坂出羽芝居への出勤が確かめられる。浜芝居の大立者となったのち,8年に嵐吉三郎と改め,大芝居大坂桐の谷秀松座に登場。立役を勤め,上上吉に上る前に没した。大柄で器量よく愛敬があり,和らかみのある芸風で和事,実事,武道事,ちゃり事(滑稽みのある演技)ほか何でも器用にこなしたが,しかし鈍重であった。男伊達や相撲取りの役を本領とし,当たり役は「淀屋橋喧嘩」の早川,「双蝶々曲輪日記」の濡髪長五郎など。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期

(上野典子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐吉三郎」の解説

嵐吉三郎(2代) あらし-きちさぶろう

1769-1821 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
明和6年生まれ。初代嵐吉三郎の3男。2代嵐三五郎に入門し,天明7年2代吉三郎を襲名。京都,大坂で立役(たちやく)の花形として活躍。口跡にすぐれ,実事,和事,力士役を得意とした。文政4年9月26日死去。53歳。大坂出身。後名は嵐橘三郎(初代),嵐璃寛(初代)。通称は大璃寛。俳名は李冠,璃寛。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(3代) あらし-きちさぶろう

1810-1864 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化7年生まれ。初代嵐猪三郎の子。2代嵐吉三郎の甥(おい)。文政4年12歳で3代吉三郎を襲名。2代嵐璃寛(りかん)にまなぶ。大坂,京都で活躍。敵役を得意とし,立役(たちやく),女方などをかねた。元治(げんじ)元年9月28日死去。55歳。前名は嵐橘三郎(3代)。俳名は璃子,冠子,鱗昇。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(7代) あらし-きちさぶろう

1894-1973 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治27年12月1日生まれ。43年11代片岡仁左衛門に入門,片岡当之助を名のる。大阪で活躍し,昭和3年7代吉三郎を襲名。芸域がひろく,戦後は「曾根崎(そねざき)心中」の九平次などを持ち役にした。昭和48年2月11日死去。78歳。東京出身。本名は北上弥之助。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(5代) あらし-きちさぶろう

1844-1898 明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)15年生まれ。初代中村雀右衛門の養子となり,中村芝蔵を名のる。明治17年5代吉三郎を襲名。京都,大阪で活躍し,実事,敵役,老役(ふけやく)などをかねた。明治31年10月9日死去。55歳。本名は松田太三郎。俳名は璃昇。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(初代) あらし-きちさぶろう

1737-1781* 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元文2年生まれ。宝暦7年嵐勘三郎に入門,嵐吉三郎と改名。「薄雪」の奴(やっこ)妻平などの奴や力士役,男達(おとこだて)を得意とした。安永9年12月8日死去。44歳。初名は竹田吉三郎。俳名は里環。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(6代) あらし-きちさぶろう

1875-1927 明治-大正時代の歌舞伎役者。
明治8年8月22日生まれ。2代中村雀右衛門に入門,中村雀三郎を名のる。明治35年6代吉三郎を襲名。立役(たちやく)と女方をかねた。昭和2年10月4日死去。53歳。京都出身。本名は福田彦太郎。俳名は李冠。屋号は岡島屋。

嵐吉三郎(4代) あらし-きちさぶろう

?-1879 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
3代吉三郎の縁者で,慶応3年4代を襲名。江戸,京都,大阪の舞台にたつ。明治12年7月15日死去。京都出身。前名は嵐鱗昇,嵐小六(6代)。屋号は岡島屋。

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367日誕生日大事典 「嵐吉三郎」の解説

嵐 吉三郎(7代目) (あらし きちさぶろう)

生年月日:1894年12月1日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1973年没

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