嵐璃寛(読み)あらしりかん

改訂新版 世界大百科事典 「嵐璃寛」の意味・わかりやすい解説

嵐璃寛 (あらしりかん)

歌舞伎俳優。5世まである。(1)初世(1769-1821・明和6-文政4) 初世吉三郎の三男。俳名李冠のち璃寛。前名嵐吉松。1787年(天明7)に2世吉三郎を襲名。没する直前の1821年(文政4)3月に名跡を甥に譲り,初世嵐橘(きつ)三郎と改名。同年5月には初世嵐璃寛を名のり,〈大璃寛〉と通称された。美男役者で口跡もよく,花形ともてはやされた。1817年(文化14)上坂していた江戸の花形3世尾上菊五郎と人気争いから訴訟騒ぎが起きたほど。芸域も広く,極上上吉にまでなった文化・文政期の立役の名優である。(2)2世(1788-1837・天明8-天保8) 初世嵐吉三郎の長男嵐猪三郎に入門し,嵐徳三郎の名で初舞台。嵐寿三郎を経て2世嵐橘三郎となる。28年(文政11)璃寛を襲名。32年(天保3)には至上上吉に位付けられ,花形の大立者となる。小柄だが目が大きかったことと,前名徳三郎をもじって〈目徳璃寛〉と呼ばれ,地芸を主に色立役・実事・若女方・実悪・老け役など広い芸域をこなした。なかでも色立役が得意で,犬塚信乃,雁金文七などを当り役とした。(3)3世(1812-63・文化9-文久3) 旅役者の子で尾上和三郎という。1831年2世に認められて徳三郎と改めた。美貌の女方として売り出し,43年璃寛を襲名した。立役・女方ともに演じたが,女方のほうが好まれた。(4)4世(1837-94・天保8-明治27) 3世の実子。嵐和三郎で初舞台。61年(万延2)3世徳三郎を名のり,67年(慶応3)璃寛を襲名した。襲名披露狂言の《皿屋敷》のお菊が好評であった。重厚な芸風で,板額などの女武道が当り芸。(5)5世(1870-1920・明治3-大正9) 4世の養子。初名嵐秀二郎から,和三郎,徳三郎を経て,1918年璃寛を襲名。《合邦》の玉手御前や《三十三間堂》のお柳など,女方の当り芸が多い。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「嵐璃寛」の解説

嵐 璃寛(4代目)
アラシ リカン


職業
歌舞伎俳優

本名
浅川 璃寛

別名
旧名=嵐 和三郎,前名=嵐 徳三郎(3代)

生年月日
天保8年

経歴
初め嵐和三郎と名乗り初舞台を踏み、慶応3(1867)年4代目嵐璃寛を襲名。実川延若中村宗十郎と三幅対と称せられた。口跡、台詞が良く、立役と若女形を兼ね時代物に適した。明治に入り新作物も演じ三都の舞台につとめた。

没年月日
明治27年 5月20日 (1894年)

家族
父=嵐 璃寛(3代目)


嵐 璃寛(5代目)
アラシ リカン


職業
歌舞伎俳優

本名
浅川 岩五郎

別名
初名=嵐 秀二郎,前名=嵐 和三郎,嵐 徳三郎(4代)

生年月日
明治3年 3月11日

出生地
大阪宗右衛門町辻井

経歴
明治8年4代目嵐璃寛の養子となり、翌9年嵐秀二郎と名乗り「阿波鳴門」で初舞台を踏む。大正7年5代目嵐璃寛を襲名。主に女形を演じたが、立役も兼ね、晩年には新作物を多く演じた。

没年月日
大正9年 9月6日 (1920年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐璃寛」の解説

嵐璃寛(2代) あらし-りかん

1788-1837 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明8年生まれ。初代嵐猪三郎(いさぶろう)の門にはいり,嵐徳三郎(2代)の名で初舞台。大坂,京都で活躍し,文政11年2代璃寛を襲名。目がおおきいため「目徳璃寛」とよばれた。立役(たちやく)を得意とし,当たり役は「八犬伝」の犬塚信乃など。天保(てんぽう)8年6月13日死去。50歳。大坂出身。前名は嵐寿三郎,嵐橘三郎(2代)。俳名は璃珏,玉山,里鶴。屋号は伊丹屋。

嵐璃寛(5代) あらし-りかん

1870/71-1920 明治-大正時代の歌舞伎役者。
明治3/4年3月11日生まれ。2代嵐吉三郎の孫。明治8年4代嵐璃寛の養子となり,嵐秀二郎の名で初舞台。21年5代嵐徳三郎をつぎ,大正7年5代璃寛を襲名。女方で立役(たちやく)をかねた。大正9年9月6日死去。50/51歳。大阪出身。本名は浅川岩五郎。前名は嵐和三郎(3代)。俳名は獅子。屋号は葉村屋。

嵐璃寛(3代) あらし-りかん

1812-1863 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化9年生まれ。2代尾上多見蔵に入門し,のち2代嵐璃寛の門に転じる。女方として活躍。立役(たちやく)もつとめ,天保(てんぽう)14年3代璃寛を襲名。三味線,書道にもすぐれた。文久3年4月21日死去。52歳。京都出身。本姓は生島。初名は尾上和三郎。前名は嵐徳三郎(3代)。俳名は橘蝶,巌獅。屋号は葉村屋。

嵐璃寛(4代) あらし-りかん

1837-1894 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)8年生まれ。3代嵐璃寛の子。慶応3年4代目を襲名。大阪,京都を中心に活躍。女方で立役(たちやく)をかねた。明治27年6月20日(一説に5月31日)死去。58歳。大坂出身。本名は浅川璃寛。初名は嵐和三郎(2代)。前名は嵐徳三郎(4代)。俳名は梅猿。屋号は葉村屋。

嵐璃寛(初代) あらし-りかん

嵐吉三郎(あらし-きちさぶろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「嵐璃寛」の解説

嵐 璃寛(5代目) (あらし りかん)

生年月日:1871年3月11日
明治時代;大正時代の歌舞伎役者
1920年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の嵐璃寛の言及

【嵐吉三郎】より

…実事・和事・老け役を兼ね,《薄雪物語》の奴妻平など,奴や男達(おとこだて)を得意とした。(2)2世 初世嵐璃寛の前名。(3)3世(1810‐64∥文化7‐元治1) 2世の兄嵐猪三郎の子で,大三郎,橘三郎を経て,1821年(文政4)に吉三郎を襲名。…

※「嵐璃寛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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