川相村(読み)かわいむら

日本歴史地名大系 「川相村」の解説

川相村
かわいむら

[現在地名]芳井町川相

天神山てんじんやま村の北にあり、西は備後国山野やまの(現広島県福山市)。東流する小田おだ川に南流するしぎ川がおちで合し、河岸段丘がみられる。河井村・河相村などとも記された。北方谷山たにやま地区は標高三〇〇―三五〇メートルの高原台地にあり、正保郷帳に枝村として記載される。殿川内とのごうち宮草みやぐさの境に中山なかやま城跡があり、「備中府志」は天文年中(一五三二―五五)城主を毛利氏麾下の川合勘解由左衛門尉とする。永禄三年(一五六〇)六月二五日の毛利元就宛行状(川合文書)で「太井村之内長富分」四貫八九二文など計五〇貫四六四文が河井清久に与えられ、天正五年(一五七七)五月吉日の横地盛幸・和勝連署証状(同文書)などによれば、井原など四ヵ村百姓中の年貢無沙汰に対して、河相村の処置については河井久家に任されている。


川相村
かわないむら

[現在地名]多賀町川相

小原こはら村の南、犬上川南谷北谷が合流する地点にあるため村名が起こったとされる(木間攫)。寛永石高帳では河合村として高二八三石余。元禄郷帳には河相村とある。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一八三・女一八四。明和六年(一七六九)五月日照りの状態で火事が起こり、三七戸が焼失、ほかに小屋二七軒も焼けた(「多賀大社頭人名書」城貝文書)。浄土真宗本願寺派円福えんぷく寺・真宗大谷派東光とうこう寺がある。「木間攫」によれば、明治二二年(一八八九)成立した大滝おおたき村を構成する旧一四村(壺村は霜ヶ原村の内)から楢崎ならさき村を抜いた一三村を南畑みなみはた十三郷とよぶと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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