川角村(読み)かわかどむら

日本歴史地名大系 「川角村」の解説

川角村
かわかどむら

[現在地名]毛呂山町川角

西戸さいど村の南、越辺おつぺ川右岸の低地および台地に立地。北西端で大谷木おおやぎ川が越辺川に合流。村名は越辺川の大屈曲部にあたることからという。もと川門と書き、九日市場ここのかいちば(のち市場村)を含んでいた(風土記稿)。枝村に玉林寺ぎよくりんじ村がある。応永一八年(一四一一)没した京都建長けんちよう寺前住持如春少林が一時玉林寺に住していた(空華集)。小田原衆所領役帳に江戸衆の太田大膳亮の所領として「拾九貫文 勝之内玉林寺分」とみえる。田園簿に村名がみえ、田高三九八石余・畑高四九一石余、幕府領


川角村
かわすみむら

[現在地名]熊野町川角・柿迫かきさこ貴船きふね東山ひがしやま神田かんだ石神いしがみ

熊野盆地の南端に位置する。二河にこう川が北東から南西に横切るが、平地は上流域に広がる。西は平谷ひらだに村、東は熊野村にそれぞれ接する。

天正一八年(一五九〇)一〇月三日付安芸国安南郡熊野郷内并佐西郡平良荘内打渡坪付(野坂文書)には「かわすミ田拾歩」「かわすミ田壱反」の二筆がみえ、当時川角は熊野郷に属していた。しかし、近世初頭には平谷押込おしごめ大屋おおや(現呉市)とともに矢野やの(現広島市安芸区)の内に含められた。


川角村
かわすみむら

[現在地名]黒瀬町川角

乃美尾のみのお村の西に位置し、北は丸山まるやま村。村の北部は西流する黒瀬川がつくる平野で、集落はその両側にある。南部は前平まえひら山北麓の山地が占め、中畑なかはた(現豊田郡安浦町)に接する。なお近世、当村付近の黒瀬川の流路は現在よりずっと南に湾曲しており、「芸藩通志」付載村絵図では、川角村集落の大部分を黒瀬川北岸に描き、乃美尾村境を神洗かれい川が南流する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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