巨勢野足 (こせののたり)
生没年:749-816(天平勝宝1-弘仁7)
平安時代前期の貴族。巨勢堺麻呂の孫,苗麻呂の子。789年(延暦8)陸奥鎮守副将軍に任ぜられ,翌々年蝦夷討征に赴く。その後,陸奥介,下野守を兼任し,また兵部大輔,内蔵頭,左衛門督,右大将などを歴任。810年(弘仁1)に蔵人所が創設されると藤原冬嗣とともに初代の頭となるが,おもに軍事官僚としての功績をあげ,812年には陸奥出羽按察使(あぜち)として勲三等。〈人となり鷹犬を好む〉とあり,正三位中納言にて没す。
執筆者:梅村 喬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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巨勢野足 こせの-のたり
749-817* 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年生まれ。巨勢堺麻呂(せきまろ)の孫。延暦(えんりゃく)8年陸奥(むつ)鎮守副将軍。初代蔵人頭(くろうどのとう)をへて弘仁元年参議となり,翌年右近衛(うこんえの)大将を兼務。3年中納言。6年陸奥出羽(でわ)按察使(あぜち)をかねた。弘仁7年12月14日死去。68歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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巨勢野足
こせののたり
748〜816
平安初期の軍人貴族
参議堺麻呂 (せきまろ) の孫。791年大伴弟麻呂 (おおとものおとまろ) に従って蝦夷 (えみし) 征討に参加。810年藤原冬嗣と並んで,最初の蔵人頭 (くろうどのとう) となった。のち中納言になり,陸奥・出羽の按察使 (あぜち) を兼ねた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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