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巨勢野足 こせの のたり

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

巨勢野足 こせの-のたり

749-817* 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年生まれ。巨勢堺麻呂(せきまろ)の孫。延暦(えんりゃく)8年陸奥(むつ)鎮守副将軍。初代蔵人頭(くろうどのとう)をへて弘仁元年参議となり,翌年右近衛(うこんえの)大将を兼務。3年中納言。6年陸奥出羽(でわ)按察使(あぜち)をかねた。弘仁7年12月14日死去。68歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

巨勢野足

没年:弘仁7.12.14(817.1.5)
生年:天平勝宝1(749)
平安前期の公卿。参議堺麻呂(関麻呂とも)の孫,式部大輔苗麻呂の長男。桓武朝では初め陸奥鎮守副将軍,次いで坂上田村麻呂と共に征夷副使に任じられ,蝦夷征討に当たった。大同2(807)年の伊予親王事件では左兵衛督として軍兵150人を率いて親王逮捕に向かい,薬子の変(810)では固関使として鈴鹿関(三重県関町)の防衛に派遣されるなど,武官としての活躍が目立つ。この年,嵯峨天皇は対立する平城上皇方への機密漏洩を防ぐため蔵人頭を置いたが,文官の藤原冬嗣とならび,武官としてこれに任じられている。ともに嵯峨天皇の東宮時代から近侍した腹心中の腹心であった。弘仁3(812)年中納言に昇る。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

こせののたり【巨勢野足】

749‐816(天平勝宝1‐弘仁7)
平安時代前期の貴族。巨勢堺麻呂の孫,苗麻呂の子。789年(延暦8)陸奥鎮守副将軍に任ぜられ,翌々年蝦夷討征に赴く。その後,陸奥介,下野守を兼任し,また兵部大輔,内蔵頭,左衛門督,右大将などを歴任。810年(弘仁1)に蔵人所が創設されると藤原冬嗣とともに初代の頭となるが,おもに軍事官僚としての功績をあげ,812年には陸奥出羽按察使(あぜち)として勲三等。〈人となり鷹犬を好む〉とあり,正三位中納言にて没す。

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