原子力や宇宙開発のように、大規模な組織と管理のもとで、多くの人材と多額の費用を投入して、国家政策として遂行される科学研究をいう。「巨大科学」はbig scienceの訳語で、「大規模科学」science in large scaleと同じ意味で用いられることもあり、かならずしも定義が確定しているわけではない。しかし、「巨大科学」と「大規模科学」、あるいは科学の「巨大化」と「大規模化」は区別して理解したほうがよい。科学の一面が巨大科学として特徴づけられるようになったのは、科学研究が大規模化したことにもよるが、それだけではない。第二次世界大戦後、政治・経済・軍事面における国家間の競争が激化し、国家的に重要とみなされる特定分野の研究が、国家資金によって政策的・組織的に推進されるようになったことによる。したがって現代科学を巨大科学として特徴づけるとき、そこには、科学研究が大規模化していることを端的に表現しようとする意図と、科学が国家的競争のための手段と化していることに対する批判的意図とを含んでいる。
[慈道裕治]
科学を全体としてみると、科学者人口、科学的出版物などの量において、科学は比較的短期間で倍増するような急速な成長を遂げてきている。プライスDerek John de Solla Price(1922―1983)の研究によると、科学者や科学的出版物の量は長期的な歴史的傾向として10年から15年の期間で倍加している。科学の成長がこのように急速であるために、科学の成長につれて社会が受ける利益が増大するとともに、研究の成果の利用の仕方や資材や経費の割当てにおいて、社会的に無視しえないさまざまな影響が生じている。しかも科学研究の規模が全体として拡大するにつれて、個々の研究においてもその規模は拡大しつつある。科学研究の進歩とともに相互の関連が豊富になり、より多くの科学者が相互に連携しながら研究するようになる。その結果、その規模は必然的に大きくなっていく。しかし、とくに規模の拡大が注目されるようになった直接の要因は、研究のための機器・装置が高性能化し、それらを開発し、製造し、維持・運転するのにより多くの人員と費用を要するようになったことにある。すなわち研究手段の大型化である。
研究が大型化している代表的な分野に高エネルギー物理学や電波天文学などの分野がある。高エネルギー物理学は、原子核を構成している素粒子に関する実験的研究を行う研究分野であるが、素粒子の構造を研究するために、高いエネルギーをもった粒子を衝突させるための粒子加速器を必要とする。この加速器は、1930年に最初の加速器であるサイクロトロンが発明されてから、粒子を加速するエネルギーが約5~6年で10倍化するスピードで高性能化している。現在運転されている最大級の加速器は、アメリカのフェルミ国立加速器研究所やヨーロッパ原子核研究機構(CERN(セルン))にあって、CERNの加速器は周長が約27キロメートルに及んでいる。こうした巨大な加速器の建設と維持のためには巨額の予算が必要であり、CERNはヨーロッパ20か国の共同出資によって維持されている。日本ではこの分野の研究の共同研究所として1971年(昭和46)筑波(つくば)研究学園都市に高エネルギー物理学研究所(1997年、高エネルギー加速器研究機構に改組)が設立された。
天文学の分野では、光学的な望遠鏡の口径を大きくする大型化競争ののちに、現在の電波望遠鏡、人工衛星、惑星間ロケットの使用へと観測装置の大型化は際限なく続いている。
研究のために大規模で高価な機器や装置を必要とするようになると、そうした研究手段を共同で使用するために共同研究が奨励されるようになり、さらに研究手段を効率的に利用するために、研究は計画的で組織的なものになっていく。たとえば、CERNは、研究を支えるために、約2000人のエンジニアや技術系職員が働く大組織を構成している。
[慈道裕治]
こうした大型化した研究手段による研究は、国家資金の投入なしには成立しない。その結果、限られた資金の配分方法がそのまま個々の研究分野の盛衰を左右する傾向さえ生みだしつつある。そのために国家資金をどれだけ、どの分野に投入するかを確定すること、また投入することの意義や研究の成果ならびに社会的影響を事前にあるいは事後的に評価することが国家政策上の重要な課題として論議されるようになってきている。アメリカではこうした議論は1950年代から盛んに行われるようになり、ソ連の初の人工衛星打上げによるいわゆるスプートニク・ショックののち、宇宙開発予算が急速に増大したため、議会は、宇宙開発の費用・効果を測定し政策的評価を確定するためにテクノロジー・アセスメントの手法を導入するようになってきている。しかし、科学研究の成果やその社会的影響をいかなる基準によって評価するかは、科学に対して社会がどのような価値判断を行うかの問題であり、今後多くの検討を要する課題である。
科学研究の大型化は科学の発展過程で避けられないことであり、その結果、科学研究に対する政府による政策的管理もまた避けられない過程である。しかし、科学政策が開始され、それが本格化していったのは単に科学が大型化して費用が増大したということだけによるものではない。科学政策の本格的展開の直接の動機は第二次世界大戦における軍事研究にある。さらに、戦後、米ソのいわゆる「冷戦」体制のもとで、軍事技術とそれに関連する産業技術の開発競争が激化し、それが国家間の政治・経済・軍事の各方面における競争にとって重大な位置を占めることが明らかになるにつれて、先進諸国では、国と産業界が一体となって研究体制の拡大・強化の政策をとるようになった。原子力開発と宇宙開発がそのもっとも代表的な分野である。
第二次世界大戦中の原子爆弾開発のためにアメリカが行った「マンハッタン計画」は、戦後における科学の巨大化の歴史的原型となっている。戦後、核兵器の開発は核弾頭、運搬手段としてのミサイル、通信・制御のためのコンピュータ、エレクトロニクスの技術開発と一体的に進められ、先進諸国は国際的な技術開発競争に勝ち抜くために国家体制を整えていった。アメリカにおける原子力委員会、航空宇宙局(NASA(ナサ))はそうした経過で設置されている。
日本では1955年(昭和30)の原子力基本法の制定とともにこうした体制づくりが進められ、原子力委員会を中心として日本原子力研究所、動力炉・核燃料開発事業団(動燃(どうねん))などの研究・開発機関が設立され、1976年の資料によると、原子力予算の約75%が前記の二つの研究・開発機関に集中的に投入されている。なお、動燃は1998年(平成10)9月に解団し、同年10月発足の核燃料サイクル開発機構がその事業を引き継いだが、2005年10月に日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構が統合し、独立行政法人日本原子力研究開発機構が発足した。研究費と研究手段を集中化することによって研究・開発の方向を政策的に規制しようとするところに巨大科学の重要な特徴がある。その特徴に対する評価は、現代科学の評価の問題として慎重な検討を要する。
[慈道裕治]
big scienceという表現を最初に用いたのは、アメリカの物理学者であるワインバーグAlvin Martin Weinberg(1915―2006)であると考えられている。彼は1961年の科学雑誌『サイエンス』Science誌上で「大規模科学の合衆国への衝撃」について述べ、そのなかで巨大科学が科学と科学者にもたらす弊害について警告している。その一つは、科学を俗流化しようとする傾向が強まることである。巨大科学は巨額の国家予算の投入なしには成立しないから、巨大科学が成り立つためには、少なくとも国民の多数がそれに反対しない状況(積極的支持でないとしても)を必要とする。そのために、巨大科学を推進しようとする科学者や政治家は、科学がジャーナリズムによって寵児(ちょうじ)として扱われるように仕向けようとする。その結果、科学の厳密な方法に反する俗流化を招く傾向を生み出すことになる。また、資金を獲得する行政的あるいは金銭上の手腕が科学研究上の能力にとってかわって科学者の能力として重んじられる傾向を助長する。また、こうした傾向が大学にまで及ぶことによって、思索と教育の場としての大学が脅かされることに対しても警告している。
このようにして科学が巨大化するにつれて、科学は国民生活のありかたを左右する存在となり、科学者には専門職としての高い倫理性が要求されるようになってきている。1948年に「世界科学者連盟」が出した『科学者憲章』や1974年にユネスコが各国政府に対して出した『科学研究者の地位に関する勧告』、1980年に日本学術会議が出した『科学者憲章』などはこうしたことに関する社会的な理解を高め、科学者の自覚を促し、あるいは政府の責任を明らかにしようとしたものである。
ドイツにおける巨大科学を研究したリッターGerhard Albert Ritter(1929―2015)は、科学が大規模化するのは、科学研究が長期にわたらざるをえないことや基礎研究において巨大装置を必要とするようになっていることに根拠があると考えた。それだけに、科学者は何をしてもよいわけではなくて、研究の自由と自律性には社会的責任が伴っていることを重視すべきとした。さらにリッターは、巨大科学の困難さは、研究の初期の段階ではその社会的影響の予測が困難であり、予測ができる程度に進んだ段階では大規模化に伴う惰性が働き、その進行を止めることが困難になることであると指摘している。この困難さに関連して、リッターは、技術の発展に伴う予測しうるネガティブな面の評価と、それに対する早期警戒システムの確立が学問上の課題となっていることも指摘している。
[慈道裕治]
科学研究の大規模化は、これまで述べてきたように、装置の大規模化を軸にして、国家間競争の激化によって加速されてきた。それはまたソ連圏の崩壊までは東西冷戦のもとで両陣営内での国際協力を促した。冷戦体制の崩壊は科学研究に新たな国際化をもたらし、研究の大規模化を促進している。
また、環境問題でも科学研究の国際化がみられる。1972年にローマ・クラブの報告書『成長の限界』が出されて以来、有限な地球のもとで資源問題と環境問題を地球規模の問題として扱うことの必要性が国際的に理解されるようになってきている。地球温暖化やオゾン層の破壊、森林破壊など地球環境の変化を総合的、長期的に研究する必要性が高まった。人類社会と自然との調和あるいは「持続可能な発展」に関する研究が、各国において重要な研究課題として位置づけられるとともに、国際的協力のもとで連携した研究が進められるようになっている。この場合も、個々の研究の大規模化と国際的なネットワーク型の大規模化が進行し、1992年ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた環境と開発に関する国連会議(UNCED、地球サミット)、2002年南アフリカ共和国のヨハネスバーグで開かれた持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD、ヨハネスバーグ会議)、および先進国首脳会議(サミット)など、冷戦後の新たな国際関係に強く影響を受けるようになっている。
[慈道裕治]
『D・プライス著、島尾永康訳『リトルサイエンス・ビッグサイエンス 科学の科学・科学の情報』(1970・創元社)』▽『加藤邦興・慈道裕治・山崎正勝編著『新版 自然科学概論』(1991・青木書店)』▽『山崎正勝・日野川静枝編著『原爆はこうして開発された』増補版(1997・青木書店)』▽『ゲアハルト・A・リッター著、浅見聡訳『巨大科学と国家――ドイツの場合』(1998・三元社)』▽『中山茂著『科学技術の戦後史』(岩波新書)』
巨大科学とは,1960年代以降アメリカで普及するようになったビッグサイエンスという語の訳である。この言葉の発案者は,アメリカの工学者アルビン・ワインバーグAlvin Weinebergである。ワインバーグは61年,大規模科学large scale scienceという言葉を用いて,現代の科学が過去とは比較にならぬほど多くの科学者を動員し,巨額の研究費を必要とする活動となっている状況を表現し,またとくに大規模なプロジェクト研究の増加という現象に注意を喚起したのである。そして翌62年よりワインバーグは,大規模科学に代えて巨大科学(ビッグサイエンス)の名称を使い始めた。この言葉は63年,科学活動の歴史的推移を数量的に分析することを得意とするアメリカの科学史家プライスD.J.de Solla Priceの著書《リトルサイエンス・ビッグサイエンス》に使われてのち,急速に全世界へと普及することとなった。
巨大科学という言葉は今日,未踏的課題に挑戦するあらゆる大規模なプロジェクト研究を総称するものとして使われる。そこには高エネルギー物理学,宇宙空間天文学(X線天文学など)のように,実利的目標をもたないプロジェクトばかりでなく,核融合,高速増殖炉,スペースシャトルのように,実用となる工学的成果の達成をめざすプロジェクトもふくまれる。どちらのタイプも科学と工学との間の密接な協力関係のもとで進められるものであるが,前者の場合,科学が目的で工学が手段であるのにたいし,後者の場合は逆となる。しかしどちらも巨大科学と呼ばれる。類語に巨大技術という言葉がある。これは未踏的課題に挑むプロジェクト研究よりもむしろ,すでにでき上がった巨大な工学的システム(原子力発電所,コンビナートなど)を指すことが普通である。しかしそれらの巨大技術をもすべて巨大科学にふくめて考える通俗的な用語法もある。大規模なプロジェクト研究の体裁をとっていても,実質的には通常規模の研究の寄集めである場合もある。癌研究,地震予知などがその例である。これらは巨大科学にふくめないほうがよい。巨大科学の特徴は,研究者の絶対数の大きさよりもむしろ,研究者1人当りの研究費がけた違いに大きいこと,言いかえれば,資本集約的であることにあるからである。
巨大科学の嚆矢(こうし)とされるのは,第2次世界大戦時におけるアメリカの原爆製造計画である。それは戦後続々と出現する巨大科学の見本例となった。マンハッタン計画の斬新さは,単に投入された予算および人員の大きさだけにあるのではない。科学を従来のような,あらかじめ究極目標を定めない計画性・組織性を欠いた活動から,事前に決められた目標(マンハッタン計画の場合は,原爆を実戦に使える兵器として完成することであったが,そうした実利的目標でなくともかまわない)を達成することに向けて,さまざまの資源(資金,資材,人材など)を,高度の計画性にもとづき組織的に動員する活動へと変質させたことこそ,マンハッタン計画が科学界におよぼした最大のインパクトであろう。巨大科学は単に規模において従来の科学と異なるのではない。明確に設定された目標をもち,計画的・組織的に進められるのが,今日の巨大科学である。従来の科学のスタイルを散策型と名づけるならば,それは企業型と呼べるであろう。特筆すべきは,今日では巨大科学ばかりでなく,通常規模の科学までもが,企業型のスタイルをとって進められているという事実である。いわば現代科学全体が,マンハッタン計画のスタイルを模倣するようになったのである。
巨大科学という言葉が考案された1960年代前半には,すでにそれに該当するプロジェクトがいくつも存在し,その言葉が普及する社会的条件が整っていた。とくに61年よりアメリカ航空宇宙局(NASA)が始めたアポロ計画(人類の月着陸を究極目標とする計画)は,巨大科学の新たな見本例とされた。巨大科学という言葉が1960年代,ジャーナリズムに乗って流行語となった背景として,アポロ計画の存在を無視することはできない。
マンハッタン計画にせよ,アポロ計画にせよ,そうした超大型のプロジェクト研究を推進するためには,莫大な予算を支出できる強大な国家権力が存在せねばならず,また支出を正当化するための国家的使命が存在しなければならない。しかも国家的使命のなかでも軍事にかかわるものが,直接と間接とを問わず際だっている。第2次世界大戦後の科学は,国家主導・軍事中心の価値観にもとづいて進められてきたとされているが,巨大科学にはそうした価値観がいっそう顕著にあらわれており,いわば国力の象徴である。それゆえ反体制の科学思想が台頭した1960年代末以降,巨大科学は流行語としての地位を急速に喪失した。なお日本の科学界では,巨大科学の代りに巨費科学という言葉を使うことが慣例となっている。
執筆者:吉岡 斉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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