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常盤大定 ときわだいじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

常盤大定
ときわだいじょう

[生]明治3(1870).4.8. 宮城
[没]1945.5.5. 仙台
中国仏教学者,真宗大谷派の僧。養子になって仙台市道仁寺住職となった。 1898年東京大学哲学科卒業。 1920~29年中国の仏教史跡を前後5回にわたって実地踏査し,文献のみによっていた中国仏教史の研究に,地理および遺跡文物の新しい研究領域を開拓。 26~31年東京大学教授。主著『支那仏教史蹟』 (1925~31) ,『支那における仏教と儒教道教』 (30) ,『支那仏教の研究』 (3巻,38,41,43) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

常盤大定 ときわ-だいじょう

1870-1945 明治-昭和時代前期の仏教学者。
明治3年4月8日生まれ。真宗大谷派の僧。母校東京帝大の教授,のち東洋大教授。晩年は浅草の本願寺別院の輪番をつとめる。5度にわたり訪中し,各地の仏教史跡を調査,関野貞(ただし)との共著「支那文化史蹟」をはじめ,「支那仏教の研究」などをあらわした。昭和20年5月5日死去。76歳。磐城(いわき)伊具郡(宮城県)出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

ときわだいじょう【常盤大定】

1870‐1945(明治3‐昭和20)
中国仏教史研究者。文学博士。真宗大谷派講師。号は榴邱。宮城県伊具郡大張村の生れ。東京帝国大学を卒業し,のちに同大学教授を経て,東方文化学院東京研究所研究員,そして浅草本願寺の輪番を務めた。1920年代に前後5回にわたる中国仏教史跡の踏査を行い,不朽の名著たる関野貞との共著《中国文化史蹟》のほか,《支那に於ける仏教と儒教道教》《支那仏教の研究》などを著した。【礪波 護】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

常盤大定
ときわだいじょう
(1870―1945)

明治~昭和期の仏教学者。宮城県生まれ。1898年(明治31)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。同大学教授となり、退官後、東洋大学教授、東方文化学院東京研究所評議員を歴任。1917年(大正6)から29年(昭和4)の間に五度中国に渡り、仏教・儒教・道教の三教に関する文化史跡を踏査した。『支那(しな)仏教史蹟(しせき)』『支那仏教史蹟踏査記』、『中国文化史蹟』(関野貞(せきのただし)共著)15巻を著し、中国仏教研究に多大の業績を残した。ほかに『仏性の研究』『宝林伝の研究』『後漢(ごかん)より宋斉(そうせい)に至る訳経総録』『支那に於(お)ける仏教と儒教道教』各1巻、『支那仏教の研究』3巻などの著書がある。[池田魯參]

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世界大百科事典内の常盤大定の言及

【雲岡石窟】より

…07年にE.シャバンヌがはじめて多数の写真を撮影,石窟番号を与えて発表した。明治・大正期に松本文三郎,木下杢太郎,大村西崖,小野玄妙も調査や研究を加えたが,関野貞(せきのただし)・常盤大定(ときわだいじよう)《支那仏教史蹟》巻2(1926)は従来の研究に画期を与え,その石窟番号は現在まで使われている。のち東方文化学院(京都大学人文科学研究所東方部の前身)は水野清一を隊長として38‐44年に実測・撮影・拓本・小発掘による大規模な調査をおこない,《雲岡石窟》16巻(1951‐56)を公刊。…

※「常盤大定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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