幌向村(読み)ほろむいむら

日本歴史地名大系 「幌向村」の解説

幌向村
ほろむいむら

[現在地名]空知郡南幌町中央ちゆうおう一―四丁目・元町もとまち一―四丁目・栄町さかえまち一―四丁目・美園みその一―四丁目・緑町みどりまち一―六丁目・北町きたまち一―六丁目・東町ひがしまち一―四丁目・西町にしまち一―六丁目・南六線西みなみろくせんにし南七線西みなみななせんにし南八線西みなみはつせんにし南九線西みなみきゆうせんにし南一〇線西みなみじつせんにし南一一線西みなみじゆういつせんにし南一二線西みなみじゆうにせんにし南一三線西みなみじゆうさんせんにし南一四線西みなみじゆうよんせんにし南一五線西みなみじゆうごせんにし南一六線西みなみじゆうろくせんにし南一七線西みなみじゆうななせんにし南一八線西みなみじゆうはつせんにし南一九線西みなみじゆうきゆうせんにし南二〇線西みなみにじつせんにし南二一線西みなみにじゆういつせんにし江別江別太えべつぶとなど、岩見沢市幌向町ほろむいちようなど、空知郡きた村字砂浜すなはま

明治一六年(一八八三)から昭和三七年(一九六二)まで存続した空知郡の村。明治中期までの村域は現在の江別市・岩見沢市および北村を中心としていたが、早くから開発されていたこれら石狩川の沿岸地域は岩見沢村(明治二八年)や江別市(同三四年)編入された。現町域の開発は明治二一年から始められた。旧石狩川と旧幌向川の合流点は幌向太ほろむいぶと(現岩見沢市など)とよばれ、一帯未開原野であったが、明治六年以降開拓使による幌内ほろない炭田(現三笠市)の開発基地として急速に開かれた(岩見沢市の→幌向町。同一一年官営の幌向太仮役所(休泊所、現岩見沢市)が設置され、同一五年には幌内鉄道(現JR函館本線)が全通して幌向駅(現岩見沢市)が開設された(「三笠市史」など)。翌一六年一月に幌向村が設置され、同年六月に開成社が江別太に入植した。石狩川に合流する幌向川の下流沿岸の幌向原野は同一九年から調査が行われ(撰定第一報文)、同年には新潟県の北越殖民社による試験入植地である通称越後えちご村ができた

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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