法幣(読み)ほうへい(英語表記)Fa-bi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法幣
ほうへい
Fa-bi

元来は日本語の法貨に相当する中国語であるが,一般には 1935年 11月の幣制改革から 48年8月まで蒋介石政権のもとで中国の法貨として発行された銀行券をさす。 33年以降,アメリカの銀買上げ政策により銀の国際価格が騰貴し,銀本位国であった中国から大量の銀が流出したため,34~35年の中国経済は深刻なデフレーションに見舞われ,破局的な不況に陥った。これに対し蒋政権は,35年 11月中国国民政府系の中央,中国,交通,中国農民の4銀行の発行する銀行券を法貨とする管理通貨制を採用し (のちにこれら4銀行券そのものが一般に法幣と呼ばれるようになった) ,経済の中央集権化を推進した。しかし日中戦争や国共間の内戦の戦費調達などによりこの法幣が乱発され,インフレーションが急速に進行したため,48年8月蒋政権によって再び幣制改革が行われ,新たに金円券が発行され旧来の法幣は 300万元=金円券1元ので回収,整理されて,この法幣制度は終った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

法幣【ほうへい】

中国の法定貨幣。国民政府が顧問リース・ロスの意見に基づき,1935年銀を国有とし,中央・中国・交通・中国農民の4銀行の銀行券を法幣に指定。他の貨幣は流通禁止。国府の経済的統一策の一つ。1948年金円券に代わる。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ほうへい【法幣 Fǎ bì】

中国で,1935年11月3日の幣制緊急令により通用することになった法定貨幣。それまでの雑多な貨幣流通は,この改革により,中央・中国・交通の3銀行(のち中国農民銀行が加わる)の発行する不換紙幣によって統一され,その価値は銀の国有化とイギリスポンドへの連結および銀売却によって維持された。のち増発により空前の価値下落をみ,48年8月19日に金円券にその地位をゆずった。【川井 悟】

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法幣
ほうへい

もともとは法定通貨を意味する中国語だが、とくに1935年に国民政府の幣制改革により銀本位制を廃止して、政府系の中央、中国、交通、中国農民の四銀行(42年からは中央銀行のみ)が発行した統一的な銀行券をさす。額面は最高が100元(1元=10角=100分)の紙幣、最低がニッケル貨の20分。旧来の通貨を回収して統一通貨とし、外貨とは最初はイギリス・ポンドにリンクしたが、すぐにアメリカ・ドルの支配下に入った。その後、貨幣価値が急速に下落し、とくに45年以降の暴落は著しく、48年には金円券に切り換えて役割を終えたが、これも翌49年の中華人民共和国の成立により人民幣にとってかわられた。

[加藤祐三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版の解説

法幣
ほうへい

1935年の幣制改革により国民政府が流通させた法定紙幣
1933年国民政府は貨幣単位のを元に改め(廃両改元),35年銀本位制を廃して政府系3銀行(中央・中国・交通のち中国農民銀行が加わって4銀行となる)の発行券を法幣とし,他の紙幣を回収した。イギリスのポンドに連結され,政府の銀売却によって維持された。これにより国民政府の財政基盤は安定し,地方軍閥を抑えて急速な中央集権が進むと同時に,対外貿易収支も改善された。第二次世界大戦後の国共内戦過程で空前のインフレーションが起こり,1948年金円券に切り替えられた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内の法幣の言及

【中華民国】より

…その面でとりわけ評価されるのが35年秋の幣制改革である。〈法幣〉とよばれる紙幣本位制(初めはポンドに,のちドルともリンクされた)の採用により貨幣金融の中央統制化に成功し,ここに近代的統一的幣制の確立をみたのである。またこの間における国際関係の改善にもみるべきものがあった。…

※「法幣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報