日本歴史地名大系 「平泉寺跡」の解説
平泉寺跡
へいせんじあと
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
〔泰澄の草創〕
養老元年(七一七)四月一日「越の大徳」とよばれた泰澄が、当地が白山権現遊幸の地であり、白山の中居(中宮)とするという夢告を受けたことによって開かれたという。泰澄伝説で最も古いとされ、「元亨釈書」をはじめとする泰澄の諸伝承のもととなったといわれる「泰澄和尚伝記」によれば、養老元年四月一日、三六歳の泰澄は、白山の麓、大野の隅、
この「林泉」が現白山神社境内にある御手洗池で、平泉という寺号の起りとなったと伝える。その後、「白山記」によれば、天長九年(八三二)には「三方馬場開、即従三方馬場、参詣御山道俗恒沙非喩、(中略)従三方馬場参詣輩、皆其馬場別当捧
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報