平泉寺跡(読み)へいせんじあと

日本歴史地名大系 「平泉寺跡」の解説

平泉寺跡
へいせんじあと

[現在地名]勝山市平泉寺町平泉寺

三頭みつがしら山の南西麓にあった寺院で、現在寺跡全域にわたる発掘調査が進められている。霊応山と号し、天台宗。越中・加賀・越前・美濃・飛騨の五ヵ国にまたがり、標高二七〇二メートルの御前ごぜん峰を主峰とする白山の大御前の山神(本地仏十一面観音)を祀る。白山は立山・富士山とともに、古くより日本三名山とも、また日本三霊山ともよばれた信仰の山で、平泉寺は白山への越前側よりの登拝口に成立した寺院で、草創以降、一大修験集団を形成した。美濃の長滝ちようりゆう(現岐阜県白鳥町)、加賀の白山はくさん(現石川県鶴来町など)とともに白山三馬場を形成し、とくに平泉寺は、垂迹平泉涌出神宮道とよばれる白山参道の正面口ともされた。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔泰澄の草創〕

養老元年(七一七)四月一日「越の大徳」とよばれた泰澄が、当地が白山権現遊幸の地であり、白山の中居(中宮)とするという夢告を受けたことによって開かれたという。泰澄伝説で最も古いとされ、「元亨釈書」をはじめとする泰澄の諸伝承のもととなったといわれる「泰澄和尚伝記」によれば、養老元年四月一日、三六歳の泰澄は、白山の麓、大野の隅、はこ(九頭竜川)の東の伊野いの(現勝山市猪野)に宿り、渾身を傾けて思索にふけっていたところ、夢に貴女がしばしば現れ、泰澄に「この地は泰澄の母のお産によって穢れており、結界の地ではない。この東にある林の泉は私が遊び止まる地であるので、早く来るべきである」と言い終わるか終わらないうちに姿を消してしまった。泰澄はこのお告げに驚き、すぐにその林の泉に臨み、日夜大声で礼拝念誦したところ、前の貴女が現れ、「私は天嶺にいる神であるが、つねにこの林の中で遊び、ここを中居としている」と告げたという。

この「林泉」が現白山神社境内にある御手洗池で、平泉という寺号の起りとなったと伝える。その後、「白山記」によれば、天長九年(八三二)には「三方馬場開、即従三方馬場、参詣御山道俗恒沙非喩、(中略)三方馬場参詣輩、皆其馬場別当捧(幣)令事」とあるように、白山三馬場が開かれ、別当寺ができ、参詣の人々に別当寺へ奉幣させている。詳細は不明であるが、この頃には白山権現の祭祀と白山禅定の修行を行う一山組織が出来上っていたと思われる。平安時代後期には比叡山延暦寺の末寺となった。しかしその後、後白河院により一時平泉寺別当職に園城おんじよう(三井寺)長吏覚宗がなったことから、院と延暦寺との間で騒動が起こり、比叡山の山法師が近江日吉社の神輿を先頭に強訴している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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