平野塚穴山古墳(読み)ひらのつかあなやまこふん

日本歴史地名大系 「平野塚穴山古墳」の解説

平野塚穴山古墳
ひらのつかあなやまこふん

[現在地名]香芝町大字平野

浄土宗正楽しようらく寺の裏山に所在。古くから開口し、昭和四七年(一九七二)四月二九日、石槨内部が盗掘されたため、文化庁の指示に基づき橿原考古学研究所が同年五月に発掘調査。

一辺約一八メートル、高さ四メートルの方形墳と推定され、石槨はほぼその中央に位置し南面。全長約四・五メートル(一五尺)の石槨は玄室・玄門・羨道からなり、それぞれの床面には切石が敷詰められている。玄室は敷石の上にほぼ垂直に立てられた凝灰岩の切石で構成され、奥壁一枚、両側壁各二枚と、天井石二枚を精巧に組合せたもので、長さ三・〇五メートル(一〇尺)、幅一・五メートル(五尺)、高さ一・七六メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「平野塚穴山古墳」の解説

ひらのつかあなやまこふん【平野塚穴山古墳】


奈良県香芝市平野にある古墳時代終末期の古墳。大阪府と奈良県の境をなす二上(ふたかみ)山の北東麓、そこから東に派生した尾根の南斜面上に位置する。1972年(昭和47)、石室内部から漆棺破片が検出されたことから発掘調査が行われ、その結果を受けて翌1973年(昭和48)に国の史跡に指定された。古墳石室の開口は古く、元禄期の山陵図でも現状に近い状況が描かれている。墳丘は、1辺約21m、高さ約4mの方墳と推定されている。主体部は凝灰岩の切り石を組み合わせた南に入り口をもつ石室で、内部は高さ1.75mで、玄室(長さ3.05m、幅1.5m)と羨道(せんどう)(長さ0.8m、幅1.4m)とに分かれ、その間には玄門(長さ0.5m、幅1.2m)がある。また玄室床面には21枚の小型の切り石を敷き、奥壁は1枚、両側壁は各2枚、天井石は2枚の切り石からなり、石室の内面全体は丁寧に磨かれている。副葬品の詳細は明らかでないが、出土した漆を塗った布を重ね合わせて作った棺片や古墳の構造などは、古墳時代終末期の一様相を示している。JR和歌山線志都美駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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