平針村(読み)ひらばりむら

日本歴史地名大系 「平針村」の解説

平針村
ひらばりむら

[現在地名]額田町夏山なつやま

村域内を東から西に流れるおと川支流の平針川と、さらに平針川枝流の渓流との合流地点を中心に集落が立地。東は明見みようけん村、西は柿平かきひら村、南は淡淵あわぶち村・片寄かたよせ村、北は寺平てらひら村と各々山で接する。

中世男川おとがわ庄夏山郷に属したという。天文四年(一五三五)宮崎みやざき城で没した奥平貞昌の弟但馬久正について、奥平氏家譜(生田家文書)に「領作手内夏山平張、一族第二系」とある。天正三年(一五七五)長篠の戦頃の平針城主は奥平勝正とある。同一八年に岡崎城主田中吉政領。慶長六年(一六〇一)幕府領になり、同九年の青木勘右衛門奉行の検地では「三州額田郡夏山村御検地帳」(柿平区有)として夏山郷六ヵ村が一括されている。

平針村
ひらばりむら

[現在地名]小牛田町平針

江合えあい川の左岸沖積地に形成をみた自然堤防上の村。東は北小牛田きたこごた(現田尻町)、南対岸は北浦きたうら牛飼うしかい両村、西は荻埣おぎぞね村、北は中埣なかぞね村。中埣と志田郡松山まつやま(現松山町)を結ぶ道が通り、江合川には渡しが置かれた。現六軒丁ろつけんちよう付近と考えられている。村名は山・坂がなく、村全域が平地であることによるという(安永風土記)正保郷帳に村名がみえ、田八六貫四七文・畑一三貫八二八文で水損と注され、ほか新田一二貫二四一文。「安永風土記」では田一五二貫五二七文・畑一七貫八三四文、蔵入六五貫九六〇文。

平針村
ひらばりむら

[現在地名]天白区天白町平針

北の端を天白川が流れる。東は赤池あかいけ(現愛知郡日進町)、南は鳴海なるみ(現緑区)、西は島田しまだ村である。「寛文覚書」によれば、田畑三〇町七反九畝余のうち田二七町六反三畝余・畑四町一反六畝余である。平針の名称は、針を「墾」の意にとって新開地とする記述(天白村誌)もあるが、詳細は不明。慶長一七年(一六一二)家康の通行時ここを駅継とし、従来、村の東北の端にあった集落を街道端に移した(平針村庄屋文書)。当初は全村蔵入地であったが、元禄二年(一六八九)村の南西部に開かれていた新田のうち一〇〇石が若宮八幡(現中区)領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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