日本歴史地名大系 「柿平村」の解説 柿平村かきひらむら 愛知県:額田郡額田町柿平村[現在地名]額田町夏山(なつやま)村域内で男(おと)川支流の夏山川と平針(ひらばり)川が合流。夏山川に沿って集落が立地。東は寺平(てらひら)村・平針村、西は支村の井之口(いのくち)村、南は片寄(かたよせ)村、北は鬼沢(おにざわ)村・寺野(てらの)村と各々山で接する。中世、男川(おとがわ)庄に属したという。夏山郷六ヵ村の中心である。奥平氏家譜(生田家文書)には、奥平氏の三州作手(つくで)領内に夏山郷がみえるから、天文年間(一五三二―五五)初期には奥平氏領に入ったと考えられる。「三河国二葉松」では夏山奥平但馬久正の名を記す。天正一八年(一五九〇)岡崎城主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)に幕府領。寛永九年(一六三二)刈谷藩領に編入、慶安二年(一六四九)に再び幕府領に戻る。 柿平村かきだいらむら 栃木県:安蘇郡葛生町柿平村[現在地名]葛生町柿平秋山(あきやま)川中流域の段丘上にあり、東は都賀(つが)郡上仙波(かみせんば)村、西は長谷場(はせば)村(現田沼町)、南は都賀郡牧(まぎ)村、北は水木(みずのき)村。安蘇郡に属し、慶安郷帳によれば田五九石余・畑三六四石余・役一〇九石余、朽木稙綱領。慶安二年(一六四九)幕府領となり、元禄郷帳では高三五二石余。 柿平村かきだいらむら 群馬県:利根郡利根村柿平村[現在地名]利根村柿平小松(こまつ)村の西北、根利(ねり)川右岸に位置する山村。利根郡に属し対岸は勢多(せた)郡日影南郷(ひかげなんごう)村。寛文郷帳によると高二二石余(畑方のみ)、沼田藩領。寛文三年(一六六三)の真田領村高書上控では高一〇一石余。貞享二年(一六八五)の旧真田領村高書上控では高一一石余。当地から小松にかけての根利川右岸の山には鉱山が点在していた。元禄一四年(一七〇一)の銅山入用勘定目録(小野文書)によると、同年三月二六日から七月一一日までの間に延べ一千二八九人が就業している。 柿平村かきだいらむら 愛知県:南設楽郡鳳来町柿平村[現在地名]鳳来町豊岡(とよおか)三輪(みわ)川の右岸、川合(かわい)村と槙原(まきはら)新田との間にあり、大正年代(一九一二―二六)になって字ドウデイに集落ができた。慶長七年(一六〇二)より近世を通じて鳳来寺領。湯谷(ゆや)村から川合村までの六キロは柿平郷中のほかは二尺幅の山道だった。槙原新田とドウデイの間は岩山で、岩角を二〇メートルも登らねばならなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by