日本大百科全書(ニッポニカ) 「広中平祐」の意味・わかりやすい解説
広中平祐
ひろなかへいすけ
(1931― )
数学者。山口県玖珂(くが)郡由宇(ゆう)町(現、岩国市)生まれ。15人の兄弟姉妹のなかで成長する。1954年(昭和29)京都大学理学部数学科を卒業後、同大学大学院に進学、秋月康夫(1902―1984)の研究室で代数幾何学の研究を始める。1956年に来日した代数幾何学の大家ザリスキーOscar Zariski(1899―1986)から強い影響を受け、1957年秋ハーバード大学に留学、マンフォードDavid Mumford(1937― )、アルティンMichael Artin(1934― )ら俊才がひしめくザリスキーのもとで代数多様体の特異点解消に関する研究を進める。1960年博士号を取得後、ブランダイス大学準教授、1964年コロンビア大学教授を経て、1968年ハーバード大学教授となる。ザリスキーが三次元の場合を解決(1950)して以来、大きな進展がなかった特異点解消の問題を、1962年に標数0の代数多様体について、1970年に一般の複素多様体について、それぞれ解決した。これらの業績により朝日賞(1967)、日本学士院賞(1970)を受賞、さらに1970年にはフィールズ賞を受賞した(日本人では小平邦彦(こだいらくにひこ)に次いで2人目)。1975年文化勲章受章、1976年日本学士院会員。1975年より京都大学数理解析研究所教授を兼任する。また、数理科学者育成事業をおこし、財団法人数理科学振興会を設立するなど、日本の若手研究者の育成にも力を注いだ。1996~2002年山口大学学長。1999年サイトウ・キネン財団理事長に就任。京都大学・ハーバード大学名誉教授。2004年レジオン・ドヌール勲章(シュバリエ)受章。夫人の広中和歌子は元参議院議員、元環境庁長官。著書として『学問の発見』(1982)などがある。
[亀井哲治郎 2019年2月18日]
『広中平祐・卜部東介著『解析空間入門』(1981/復刊・2011・朝倉書店)』▽『『学問の発見』(1982・佼成出版社/改題改訂版『生きること学ぶこと』・集英社文庫)』▽『広中平祐他編『現代数理科学事典』(1991・大阪書籍、丸善発売/第2版、2009・丸善)』