690年(持統4)庚寅の年に作成された戸籍。日本最初の全国的な戸籍は670年(天智9)の庚午(こうご)年籍であり,当時はその後も定期的・全国的に作成する予定だったと思われるが,まだ文字を知る者も少なく律令制度は不備で,実行しえなかったようである。しかし壬申の乱(672)後の天武朝では律令の編纂が始まり,それが浄御原令として689年6月に施行されると,閏8月には〈今冬に戸籍造るべし。九月を限りて浮浪を糺捉すべし〉との詔があり,国司たちが作成の仕方に迷っていると,翌年9月にはさらに〈凡そ戸籍を造ることは戸令に依れ〉と指示して,翌々年に完成した。この戸籍の呼び名は完成年でなく,〈戸令に依〉って開始した庚寅の年によっているが,このような呼び方も,冬から翌春にかけて作成することも,8世紀以後の律令制度と同じであり,また6年ごとの全国的な戸籍作成も庚寅年籍以後開始されている。
執筆者:青木 和夫
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690年(持統4)庚寅の年に作成された戸籍。689年6月に飛鳥浄御原令(きよみはらりょう)が施行されると,ただちに浮浪を掌握して,人民を登録地に固定した状態で造籍に着手し,翌年9月に戸令(こりょう)にもとづいて戸籍を作るよう命じている。人民をその居住地で把握する,地域原理による編戸と一体になった造籍の最初のもの。50戸1里制にもとづく村落の編成が全国規模で行われ,6年ごとの定期的造籍の先駆ともなった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…その意味で最初の確実な造籍は670年(天智9)の庚午年籍(こうごねんじやく)であり,この戸籍はおそらく近江令の規定に基づき,全国的・全階層的規模で作成されたものである。続いて690年(持統4),飛鳥浄御原令に基づき庚寅年籍(こういんねんじやく)が作成されたが,この戸籍は良賤身分の確定,里制の実施などのうえで重要な意義をもったらしい。 大宝・養老令の規定によれば,戸籍は6年に1度作成され,造籍年の11月上旬より始めて翌年の5月末日までに作り終えることとなっていた。…
※「庚寅年籍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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