日本大百科全書(ニッポニカ) 「府県制・郡制」の意味・わかりやすい解説
府県制・郡制
ふけんせいぐんせい
国会開設に先だつ1890年(明治23)5月に、地方自治制度の一環として制定された制度。これにより、府県と郡は初めて自治体としての組織と機能をもった。府県会・郡会は複選制で、府県会の選挙権者は市会議員・市参事会員・郡会議員・郡参事会員、被選挙権者は直接国税10円以上納入者であった。郡会は、その3分の2を各町村会が選挙し、3分の1は、地価1万円以上の土地を所有する者が互選で選んだ。いずれも一般国民は参加できない地方有力者中心の自治制であった。これらの議会の権限は狭く限られており、また、官選の郡長・府県知事や内務大臣の厳しい監督と規制が加えられ、自治体としては不完全であった。
1899年、町村の政争を激化するという理由で複選制は廃止、直接国税3円以上納入者による直接選挙となった。日本の実状にあわない郡会の大地主議員も廃止された。北海道には1901年(明治34)3月、北海道会法が公布されてある程度の自治権が与えられ、22年(大正11)にようやく府県制に準拠して扱われることになった。日露戦争以後、地方制度合理化の見地から郡制廃止法案が何回も議会に提出されるが、貴族院の反対で日の目をみず、第44議会に至って成立、23年に郡制は廃止された。26年には郡役所も廃止され、郡は単なる地理的名称となる。府県制は大正末から昭和初期にかけて、普通選挙制採用、議会権限拡充、自治立法権付与などの自治拡充政策がとられたが、43年(昭和18)には自治権を制限する反動的改正が行われた。同年、首都に対する国家的統治を強めるために、東京市をなくし、東京府を東京都と改める都制が敷かれた。47年(昭和22)地方自治法の施行によって、東京都制、道府県制の不完全な自治制は覆され、知事公選を柱とした民主的な地方自治制が確立した。
[大島美津子]