1878年の府県会規則にもとづいて翌79年ころから各府県に正式に開設された議会。地租改正反対一揆の続発と民権運動の発展を背景に,各地で豪農商の民会開設要求が強まったのに対し,上から形式的に対応して反体制機運の鎮静化をはかるための措置であった。府県会の主要任務が地方税支弁の経費の予算とその徴収方法の議定に限定されたように,その権限は狭かった。一方,地方官と内務卿の監督権は強大であった。地方官は議案の発案権,会議中止権を,内務卿は閉会権,解散権をにぎった。議決は地方長官の認可をまってはじめて発効し,その議決の認可が好ましくないときは,内務卿に具状してその指揮下に地方官が専行することとなっていた。議員の被選挙権者は地租10円以上の納付者,選挙権者は地租5円以上納付者であり,議員が名誉職であることとあわせて,この財産資格規定は名望家のみに府県行政への参加を許し,反政府勢力にくさびをうちこむねらいをもっていた。しかし,国会開設請願運動の高揚を背景に,議員は限られた権限を最大限に行使して自治権拡大と住民の過重負担軽減を求める議会闘争を激しく続けた。政府は,地方官の原案執行権の拡大,府県会の建議権の制限,国事犯の被選挙資格剝奪などの統制強化措置で対抗した。90年には体系的地方自治制の一環として府県制が制定された。以前に比べると府県会の議決権は拡大したものの,内務大臣,知事の監督権は依然強大であった。市会,市参事会,郡会,郡参事会の構成員が選挙権をもつ複選制で,被選挙権者は直接国税10円以上の納付者という名望家中心の構成であった。しかし複選制は選挙地盤をめぐって町村会を選挙戦の焦点とする傾向をうんだため,99年に直接国税3円以上納付者による直接選挙に改められた。その後大正末期から昭和初期にかけ,普選採用,議会権拡充などの自治拡充が行われたのち,戦時下の反動的改正を経て,1947年4月地方自治法によって廃止された。
執筆者:大島 美津子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1878年(明治11)の府県会規則の制定により,各地に開設された地方議会。それまでの地方民会・区戸長会開設という民権主義的動向に政府が対応したもの。府県会の権能として地方税の徴収と支出に関する審議権が認められたが,地方長官に多大の監督権が付与されていた。当初議員は財産規定による直接選挙だったが,90年の府県制制定により,市会・郡会などの構成員による複選制選挙となる。99年複選制は廃止され,選挙権は直接国税3円以上の納付者に与えられた。1926年(大正15)6月の府県制改正により普通選挙となったが,自治権の拡充は第2次大戦の戦時体制の進展で後退し,権限は縮小した。戦後の47年(昭和22)地方自治法が公布され,都道府県議会として再び権限拡大の方向に歩みはじめた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
1878年(明治11)7月22日布告の府県会規則で定められた地方議会制度。翌年2、3月ごろから各府県に開設された。
[編集部]
…しかし法体系の未整備,通信交通網の不全という条件下で激しい社会情勢の変動にさらされ,臨機の対応を迫られる場合も多かった。1880年には府県会が開かれたが,議会と県令との間には県の行財政をめぐってしばしば対立がおこり,議決不認可や原案執行の事態を招いた。86年7月の地方官官制で県令は県知事となった。…
…さらに99年の府県制改正によって法人格を与えられている。府県には1878年の府県会規則とその後の府県制に基づき公選の議会(府県会)が設置された。府県制は府県が知事によって統轄され,代表されることを規定した。…
※「府県会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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