建艦競争(読み)けんかんきょうそう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「建艦競争」の解説

建艦競争(けんかんきょうそう)

ビスマルク辞職のあと,ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世帝国主義的膨張政策の陣頭に立ち,海外進出は強力な海軍力保有が先決であるとして,1897年海軍拡張論者ティルピッツを海相に迎えた。翌98年,建艦法により7年間で1億マルクの巨費を投じ戦艦12隻,巡洋艦33隻を建造することとした。これに対し海洋国イギリスドレッドノート級戦艦を建造し,ドイツに対抗してこれを凌駕しようとしたが,ドイツも1900年,06年にさらに大規模な建艦計画で対抗,イギリスも08年戦艦建造計画を拡大するなど,とどまるところを知らなかった。12年,イギリスはフランスとの間に英仏海軍協定によってそれぞれ行動範囲を定め,ドイツを押える策に出た。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「建艦競争」の意味・わかりやすい解説

建艦競争
けんかんきょうそう

第一次世界大戦前の国際対立のなかで、イギリスとドイツが展開した海軍力増強をめぐる競争。当時、大海軍は対外膨張の手段として強国の力のシンボルであった。ドイツは1898年第一次、1900年第二次艦隊法を通じて大洋艦隊の建造に着手した。これに対しイギリスも海軍の大増強でこたえ、とくに1906年には従来のどの戦艦にも勝るドレッドノート型大型戦艦を建造したので、ドイツもこれに倣い、両国の建艦競争は激化一途をたどり、競争はやがて他の列強にも波及した。巨艦巨砲を競う軍備拡張競争は、それぞれの国民に重い財政負担を強い、戦争の危険も増大した。そこで両国は1908~12年に軍縮交渉を繰り返し、とくにイギリスは建艦のテンポを緩める「海軍休日」を提案したりしたが、結局和解に至らなかった。大戦前夜、両国が保有ないし建造中の戦艦は、イギリスが75、ドイツが40隻で、海軍力でのイギリスの優位は揺るがなかった。

[木谷 勤]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「建艦競争」の意味・わかりやすい解説

建艦競争
けんかんきょうそう
Naval Race; Flottenkonkurrenz

1898年のドイツの艦隊建設計画実施に対抗し,それ以後イギリス,ドイツ間に展開された艦隊建造競争。ビスマルク辞職後,新航路政策が L.カプリビ内閣でとられ,ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の主導下に帝国主義的な海外進出計画の裏づけとして,強大な海上勢力の建設が着手された。 97年 A.ティルピッツが海相となり積極的な海軍拡張計画を推進し,98年戦艦,巡洋艦の建造計画を含む艦隊法が立法化された。イギリスもこれと対抗して新たな戦艦建造計画を開始し,ドイツは 1900,06年に計画を拡大,イギリスも 08年戦艦建造計画を一新し,両者の競争は 12年の英仏海軍協定によるドイツ牽制まで継続した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「建艦競争」の解説

建艦競争
けんかんきょうそう

第一次世界大戦前のイギリス・ドイツ間の海軍拡大競争
ドイツが海相ティルピッツのもと,1898年と1900年の海軍法によって大艦隊建造に着手したため,二国標準主義をとっていたイギリスの不安を招き,戦艦の増強を推進させた。かくて両者の間に限りのない競争が生じた。その間(1908〜11),両国間に海軍協定締結の努力もあったが失敗し,第一次世界大戦前の両国の関係を悪化させた。

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世界大百科事典(旧版)内の建艦競争の言及

【ウィルヘルム[2世]】より

…皇帝に即位するや宰相ビスマルクを辞任させ,積極的な海外進出(いわゆる〈世界政策〉)に乗り出す。ロシアとの再保障条約の不更新,穀物関税の引上げ,近東への進出(三B政策)などによってロシアやイギリスとの対立を招き,他方,海相ティルピッツのもと大艦隊の建造に着手し,英独建艦競争を引き起こし,イギリスとの対立を深めた。またモロッコ問題でフランスと衝突した。…

【海軍】より

…玄側にあった大砲は180度旋回できる砲塔に移されて艦の中心線に収まり,20世紀初頭には射程も約20kmに達した。各国ともに,軍艦を国家近代化の象徴と見なし,砲の大きさ,速力,装甲の厚さを競い,遅れて海軍建設に乗り出した新興の日本,ドイツ,アメリカもこの建艦競争に参加する。こうした快速の装甲軍艦の威力は,リッサ海戦(1866),黄海海戦(1894)を経て,日本海海戦(1905)で決定的に証明された。…

【ティルピッツ】より

…1897年海軍長官に就任(1911年以降は海軍提督),98年以後1912年までにあいついで艦隊法を成立させ,ドイツ海軍を飛躍的に増強した。このためイギリスとの建艦競争が激化,第1次世界大戦勃発の一因となった。しかし大戦中,イギリスに包囲されてドイツ艦隊の主力はほとんど活動せず,ティルピッツは無制限潜水艦戦の即時実施を要求していれられず,16年辞職した。…

【ドイツ帝国】より

…しかしマルクス主義をとる反体制政党の内部でも,20世紀に入って改良主義や修正主義が強まり,変質が進んでいた。 ウィルヘルム時代にドイツ帝国の外交を方向づけたのは世界政策Weltpolitik,Weltmachtpolitikで,政府は東アジアや中東で積極的膨張政策を展開する一方,そのための手段として大海軍の建設(建艦競争)と陸軍の増強に努めた。しかしこれはイギリスはじめ帝国主義列強との摩擦を増大させ,1904年英仏協商,07年英露協商が成立し,ドイツの孤立が明らかとなった。…

※「建艦競争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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