弓之町(読み)ゆみのちよう

日本歴史地名大系 「弓之町」の解説

弓之町
ゆみのちよう

[現在地名]松山市緑町みどりまち一丁目

松山城下町の北東部、しろ山の周辺部に位置し、みがき町・三春みはる町と平行して東西に通ずる町筋。東は壱万いちまん町、西は水口みなくち町、南は杉谷すぎたに町、北は矢矧やはぎ町に接する。元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「惣町数七拾壱町」のなかにこの町名がなく、各種の城下町図にも記載されていないことから考えると、江戸時代の後期に町名がつくられたのであろう。

弓之町
ゆみのちよう

[現在地名]岡山市弓之町・蕃山町ばんざんちよう天神町てんじんちよう

中堀と外堀の間、城の北西に位置する郭内武家屋敷町。東は鷹匠たかしよう町、南は内堀中山下なかさんげ、西と北は外堀。寛永城下絵図でも武家屋敷地で、各城下絵図に町名の記載はない。「備陽国誌」に竪横五町とある。当町には俗に中屋敷と称する借長屋があり、かつて学校敷地であった裏の町、宝永二年(一七〇五)牢屋が建てられ俗に牢屋の町という西袋町、切支丹牢屋があった中の袋町、渋蔵・大役長屋があった東袋町の四町があった(吉備温故秘録)

弓之町
ゆみのまち

[現在地名]津市ほん

岩田いわた橋を南へ渡った伊予いよ町の東側にある。「宗国史」は弓街と記す。江戸時代初期から歩行弓組の藩士が居住し、町名がつけられたが、やがて弓組以外にも鉄砲組・城番組・小人組・足軽などの軽士が居住するようになり、町人も混住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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